これが至聖所です。写真が暗くてわかりにくいかもしれませんが、こう仰ぎ見るんです。至聖所は神殿の一番最後、一番大事な奥の院といっていいでしょうね。中核のところです。神様の像が置いてあります。これは全体がオペトの祭りの時だけの建物ですから、ルクソール神殿の至聖所は1年のうち、1ヶ月だけアメン神の黄金の像、神像がおいてあるんです。しかも黄金の船。
至聖所の中に台(聖台)があって、そこに聖船がおいてあり、そこにアメン神がいる、ということです。これはアメンヘテプ3世の時代に作られたのですが、なぜアメンヘテプ3世がこの神殿を作ったかといいますと、もちろんアメン神のためなのですが、もうひとつ。アメンヘテプ3世がトトメス4世から王位を引き継ぐ時にいわくがあったんです。アメンヘテプ3世はトトメス4世の実の子ではないかという疑いがあり、誰かに言われてしまった。 |
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アメンヘテプ3世のレリーフ (ルクソール神殿 至聖所) |
そこで、アメンヘテプ3世は私はれっきとしたアメンラーの子、アメン神とラー神が習合し、エジプト全土を支配するアメンラーの子供である。アメンラーが私の母親に生を授けたのだ、ということを書いたのです。それが書かれているのが誕生の間といって、この至聖所の左側にあるのですが、これこそがアメンヘテプ3世がルクソール神殿を作った、隠れたる第1の理由だったわけなんです。王様なんだから『文句あるか!?』と言ってしまえばよさそうなのに、そこがいえないんですね。きちっと証拠になるというかみんなに認めてもらいたいということで作ったのです。
そうやって作られた至聖所ですが、途中で壊れてしまいます。しばらく放ってあったのですが紀元前320年にギリシアのマケドニアからやってきたアレキサンダー大王が当時、ペルシャの支配下にあったこの場所で、ファラオになるんです。その儀式をシワオアシスでやって、その帰りにここに寄り、余りに壊れているので直さなければいけないと、修復した、というようなことがかかれています。
アレキサンダー大王名前とアメンヘテプ3世の名前。1000年以上も離れている2人の名前がここに書かれている。世にも不思議な物語です。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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