この写真を見てください。列柱は全部で14本。中庭はいくつもあります。
列柱室の向こう側が西、手前が東です。右が北、左が南、ということになります。
向こう側とこちら側の壁にオペトの祭りがどうやって行われたかが描かれているわけです。西側の壁にはこちらに来てからの様子、いろいろと儀式をして、30日経ってから帰る時の模様が描かれています。ですからオペトの祭りの、出てから、その途中、至聖所に入って帰る、収まる、という全部が描いてある。古代エジプトで儀式が全部わかるのはオペトの祭りだけなんですね。
そういうことを描いて後世に残したのはツタンカーメンなんです。しかし、ツタンカーメンは治世が短い。約10年です。亡くなってから次の次のホルエムヘブという人が「ここは俺が造ったんだ」とばかりに改ざんしてしまうんです。
しかし、この2つ目の柱の上のところに「わが父、アメンヘテプのためにこの列柱室を作った−ツーツ・アンク・アメン(ツタンカーメン)」と書いてあるんです。すごいでしょ?
ツタンカーメンが造っただけでなく。「わが父、アメンヘテプ」。
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アメンの名が削り取られている
カルトゥーシュ
(ルクソール神殿 第二中庭) |
これを見つけたのはアメリカのエジプト学者です。私はビックリしました。直感的にツタンカーメンの父はアメンヘテプ3世と思っていましたが、それをアメリカの学者が発見した。嬉しかったですね。そんなことでこの場所は私にとっても曰く因縁のあるところです。
写真の左側に第2中庭がありますが、ここに不思議なものが彫られているというか、削られています。
上のところにアメンヘテプ3世が作ったということが書いてあります。“アメンヘテプ”とは「アメン神は満足する」という意味なのですが、アメンの部分が削られているのです。アメンヘテプ3世の長男であるアメンヘテプ4世、のちのアクエンアテンはアメン神を否定してアテン神に変えたのですから、自分の父親の名前さえも削ってしまった。これは相当な歴史ですよね。人を殺すどころか、神様を抹殺するのですから大変な勇気がいったと思うんですね。今見ると、アメンの部分が全部削られていますが、その報いか、ほんの数年後に自分の作った建物を全部壊され、自分の名前も歴史から抹殺されてしまう。悪いことはできないなということの証です。いまでも起こっているんですよ。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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