大列柱室が作られたのは第19王朝、今から3300年ぐらい前です。そしてこの至聖所は今から3400年ぐらい前のものです。ここの20mぐらいの場所に第18王朝のトトメス3世、ハトシェプスト、トトメス1世といったトトメス系や、アメンヘテプ系の人々にまつわる建築物がぎっしりあります。
アメンヘテプ系はどっちかというとこれからずっと南の方にいってしまうのですが、とにかくトトメス系がここをきっちり抑えていた。
この至聖所は今から4000年ぐらい前の中王国時代につくられました。最初は小さな祠だったのですがトトメス3世が至聖所にしたのです。
トトメス3世はシリアやパレスチナを、徹底的に17回も攻め入って、今日に至るまでのエジプト5000年の中で最大の領土を誇った時の王さまで、あらゆる戦争に勝ったといわれています。エジプトのナポレオンとも呼ばれていますが、皮肉なことにナポレオンが戦争に勝ったのは実はたったの2回。後のほとんどは失敗してるか話し合いで領土を広げた人なんですけどね。まあ征服王という点では同じなんですけど。そのトトメス3世がこの至聖所を作ったのです。 |
 |
植物園のレリーフ (カルナク大神殿) |
至聖所というのはアメン神、守護神がいるところです。アメン神は黄金の船で黄金の神像でいたというのです。もちろん黄金ですから次の人が入ってきて皆とっちゃいますから、今は残っていないんです。台だけ。台は石ですから持って行くのが大変なのでそういうものが収まってるのを至聖所というのですけども、それをこの中に安置して上エジプトと下エジプトを支配しているということです。
これよりもうひとつ東側に行きますと、これまた30mぐらいの長さで幅が100mぐらいのところがあります。このところに今から4000年前の中王国時代、アメン神が本拠地を構えたのです。アメン神はもともとはここの神様ではありませんでした。よそから来て小さな祠を作り、ひそかにお祭りを始めた。これがアメン神の始まりです。
それがいつの間には全エジプトを支配するようになったのですが、その神様がここにいて、その奥にトトメス3世は、もっと広い西の方ではなく東のほうに奥の院を作りまして、そこにはそこに自分がシリアやパレスチナに攻めて行ったときにとってきた動植物を植えたり放したりしました。でも、それらもやがては枯れたり、死んだりしますから、それを壁面にレリーフとして、ずっと描いたんです。そのあと、1000年以上経ってからアレキサンダー大王がやってきて、このカルナク大神殿をすべて修復してトトメス3世に捧げたというような逸話がこの奥の院に刻まれています。
|
|
●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
| 情報提供: |
 |
|
|
|
 |