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吉村作治 エジプト博物館
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第3回 「大神殿内観」 3/17〜
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右の写真の4体の像は、この世に人間を送り込んだというか、人間を作った神様なんですけどね。この4体のところに1年に2回、光が入るんです。春分と秋分の2回、ということです。
光が当たることによって、4人の神様は太陽から命をもらって生き返るのです。
大神殿の中に入りますとまず、大ホールがあります。大ホールには両側に4本ずつ、計8本の角柱、オシリス柱があります。王様があの世に行くとオシリスになるのですが、その様子を彫ったものです。ラムセス2世があの世に行ってオシリスになるとこうなりますよ、という姿ですね。
大ホールといわれているところは向かって右側。北の壁ですね。オロンテス川の戦いの図が描かれています。オロンテス川で何があったかと言いますと、ヒッタイトとエジプトが今から3300年前に中東地区、オリエントの覇権を争ったんです。結果的には引き分け。引き分けとはどういうことかといいますと、1日目にエジプトはヒッタイトの計略にかかってしまい、危ない状況に陥ったのです。その時ラムセス2世は自ら先頭に立って戦ったのですね。これはすごい勇壮というか、勇ましかった。もっともエジプト側が書いているわけですからどこまで信用していいかわかりませんけれど、そういう図がずっと書いてあります。そして、あわやという時に、道を間違え、エジプトの軍団がぱっと出てきた。これはもう、運でしょうね。そこでヒッタイトが川を渡って向こうに逃げてしまったんです。
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ラムセス2世のレリーフ
(アブ・シンベル大神殿)
一方エジプトは、当時は夜は戦いませんでしたから、夜になってテントを張って火をたいたりしていたのですが、次の日突然、ラムセス2世がエジプトに帰ってしまった。ヒッタイトも追いかけてやっつけてしまえばいいのに、「あの大国のエジプトが引き返すんだから何か計略あるに違いない。策略に乗るな!」とずっと見ていたというんです。そして戦争はそのまま終わってしまいました。そして20年後に人類最古といわれる和平条約が結ばれたのです。
このことがアブ・シンベル神殿の外側に書いてあります。
南側、向かって左側の方にはシリアとかヌビアでラムセス2世がものすごい力を発揮したぞ、ということが書かれてまして、すなわち両側ともラムセス2世の…、なんていうんですかね。プロパガンダとでもいうんでしょうかね、いかにすごかったかということを神様に示しているのです。中もすごいですよ、アブ・シンベルは。精緻というんでしょうか、細かくレリーフがある。なかなかこんなものはないですね。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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