| 第1回 |
「アムル・モスク、エジプトのイスラム教」 |
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アムル・モスクはアムルという人が造ったモスクです。アムルというのはエジプトにはじめてイスラム教をもたらした人なんですね。将軍です。639年に今のメソポタミアの方からエジプトに入ってきました。当時、エジプトにはビザンチンの軍隊がいたんですね。このビザンチンの軍隊とイスラム軍が戦って、641年についにビザンチンの軍勢を追い返して、エジプトをイスラム化した、その中心人物です。大変な武勇たくましい、有名な人です。このアムルという人がエジプトに入ってくるまでエジプトはキリスト教の国だったんですね。ビザンチンの人たちはアムル・モスクの近くの丘の北のはずれのところにバビロン城と呼ばれる城を作りました。現在は軍事的要塞になっているところですが、そこにエジプト全土を支配する中心、首都をおいていました。ここを攻めたわけです。攻めるに当たって陣地にアムル・モスクをおいたのですね。軍勢はこの周りにずっとフスタート(テントとか、バラックといったようなものです)を張って、いよいよバビロン城を攻めるというときにここで待機した、そういう場所だったのです。 |
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| アムル・モスク(カイロ) |
その後、ここはアル=フスタートと呼ばれる街になりました。日本の皇居より広いですかね。
今ではエジプトはイスラム教が中心で、人口の85%ぐらいですね、残りの15%がキリスト教。ユダヤ教は数える程度です。キリスト教会はカイロの街の中に今でもたくさんあります。キリスト教とイスラム教が折り合いをつけて上手に付き合っている街として、世界の中でもいい街のひとつです。こういう具合に宗教のるつぼといいますか、お互いがお互いを尊敬しながら暮らしている大変珍しい街なのですが、その中心がこのアムル・モスクなんですね。エジプトのイスラム教の象徴ともいえるところです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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