ツタンカーメン王墓を1922年11月4日に見つけたハワード・カーターが発掘の時に使った家です。この写真がそうです。
私たちが最初に発掘した時、宿舎を決めなければいけなかったのですが、エジプト政府からはホテルでやるようにいわれ、クルナ村というルクソール西岸のところにも、いくつもホテルといいながらホテルではない、旅籠のようなものがあったのですが、発掘が終わるといろいろ持って帰らないといけないとか、全体の広いスペースが必要となります。ミーティングにしてもなんにしてもホテルだと他のお客さんに迷惑だということで、何とか、カーターハウスに泊めていただきたい。やっぱりエジプトで発掘するには憧れの人、カーターが自分の宿舎に使っていた所に泊まりたいというのは人情ですよね。
当時の考古庁長官のムクタール博士がそれをよく理解して貸してくださったのですが、入ってビックリしたのは寝室が3室しかなかったことです。すごく大きく見えたのですが半分はエジプトのインスペクターが家として使っていたんですね。ですからあとの半分。調査隊員は大体12人から15人ぐらいいますから、とても個室なんてムリですね。そこで3つの部屋を、先生たちの部屋、シニア(大学院以上)の人の部屋、そして、学部の学生の部屋と分けました。 |
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クルナ村 (ルクソール西岸) |
先生が「4人一部屋なんて」と嘆きました。一部屋4人ということは奥のベッドで寝ている人が夜中にどこかに行くためには他の人のベッドを越えていかなければなりません。ちょっと待遇が悪いんじゃないのか?なんて教授に怒られましたが、みんなで同じところに住んで同じ食事をして、同じ空気を吸いながら、というのが調査をするエジプトにおいてはすごく大事なんですと言って何とかお願いしました。
学生たちのところではガラスが割れていて、紙が貼られていてもぴゅーぴゅー風が入って寒かったようですが、若者は頑張るんだとか言ってやっていました。
隊長の川村喜一先生は「軍艦マーチ」がお好きで、朝起きますと軍艦マーチをカセットテープで流すんです。他の先生が「うるさい!」とか言っても「これがキリっとしていい」とか何とか言ってました。考えてみるとこれから朝ごはんを食べていよいよ遺跡に…。という時は戦地に行くような感じで確かに意気高揚したのを覚えています。
寝る時はパチンコ屋さんではないけれど、「蛍の光」を流したりして、「みんな、寝るんだぞ!」と11時に寝かされてまして、そういう面では初期の段階でみんなが一致団結して、同じ釜のメシを食うという言葉がありますが、まさにそんな状況だったんでよかったかもしれませんね。今日の早稲田隊の一致団結の思想というものはこのときから引き継いでいるのかもしれません。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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