あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年はテーマを「エジプトの建造物」として毎回私が撮影した写真をきっかけにお話しをしたいと思います。今回のテーマは「ワセダ・ハウス」。その第一回目は「ワセダ・ハウスとは」。
右の写真はワセダ・ハウスができてサロンに座ってほっとして、「ああ、これから何年もやっていけるなあ」と安心した写真です。
前々から、ルクソールの西岸のクルナ村にはドイツもフランスもアメリカもハウスを持っていました。
ハウスというのは泊まるだけでなく、図書館があったり、研究したりと発掘の拠点、ある意味ではシンボルなんですけど、日本ではとてもそんなものを持たないだろうと皆さんも思っていたし、私も持てないだろうと最初は思っていたのですが、魚の丘を発見してから、これはいけそうかなあと思いました。そこで当時の早朝だった村井資長先生にその旨お願いしました。
まず、ゼネコンって言うんですかね、エジプトで建設をするときに取り仕切る会社があるんですが、そこに頼みにいきましたらとても我々が払えるような金額ではなかったんですね。ですからどうしようかということになり、いろんな企業に、アルミサッシとか、机などの家具をいただくことを頼みました。エジプトでは私ともうひとり、大学院の学生で、カイロ大学に留学していた青年と二人で自らがゼネコンになって、といいますか、指揮をしたのです。 |
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ワセダ・ハウス (ルクソール西岸) |
当時、カーターハウスというところにずっと泊まって発掘をしていましたから、カーターハウスから近い方がいいだろうということになりました。まず、その建設現場の前に小屋を建てまして、そこで寝泊りして週に1回、金曜日が休みですからその時にナイル川を渡って東岸に行って、ホテルに入ってシャワーを浴びて、街中で少し栄養のあるものを食べて一泊してまた戻って土曜日からまたやる、ということを8ヶ月やりました。自分でもよくやったと思います。
その間に資材が足らなくなって、当時のエジプトでは建築資材を手に入れるのは難しかったんですね。ゼネコンみたいな人がみんな抑えてて予算わりされてましたから。そこでポーランド隊とかドイツ隊の人たちが自分たちの持っている資材を少し分けてくれたりして、そういったおかげで12月にはできたのです。
できた時、当時の隊長、川村先生の喜びようといったらなかったですね。滅多にお酒を飲みすぎない川村先生でしたけど、お祝いに来てくれた現地のクルナ村の男の人たちと一緒に踊ったりしたぐらいです。これでエジプト政府も早稲田大学は本気だな、と思ってくれたわけですから、エジプト発掘第2ステージというわけですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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