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| アブ・シンベル大神殿 |
アブ・シンベル神殿は、もうヌビアの代表と言っていいでしょうね。1966年にはじめてエジプトに行った時、どうしてもこのアブ・シンベル神殿には行きたかったんですよ。その時見たアブ・シンベルというのは今でも頭の中に残ってますよ。ちょうど移築中で、びゅーっと工事現場。鉄筋が出てて、そこに下から運んできたのを貼り付けるんですね。まさにはりぼて。石のはりぼてです。そのあと3年ぐらいして再び行きましたら、美しいラムセス2世像が4体(そのうち1体は壊れてますけれど)の大神殿とネフェルタリの立像が彫り込んである小神殿などがパーッとあるわけです。
移築は神殿をブロックに切って、運んで、くっつけて行われました。全部で1036個のブロックに切ったのですが、その切ったところに行ったんです。ブロックに鉄の棒を打ち込んでクレーンで上に上げてました。そこに番号を振って、原図に沿って番号どおりに入れていき、その間を接着する。この接着剤が日本の製品だったんです。技師にほめられました。ちょっと複雑な気持ちでしたけどね。石を上げる技術だとかクレーンや鉄が日本のというんじゃないですよ。接着剤。
日本は偉いといわれても、全然そうは思えなかったのですが、あとになってよく考えて見ますと、クレーンも取り払われ、鉄の棒も取り払われ、石はもともとのものだし、技術者もいなくなってしまうけど、接着剤は残っているんだから、あのエンジニアは結構正しいこと言ってたのかなと思いますね。 |
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移築中のアブ・シンベル大神殿
(アブ・シンベル) |
このアブ・シンデル大神殿、もともとはこのあたりのヌビアの都市国家の小王たちに、エジプトはすごいんだぞということを思わせるために作ったものなんです。しかも自分だけでなく、王妃にまで神殿を造ったのは古代エジプト3000年間でたった一人。ほかに自分の妻に神殿を造った人はいないんです。
実はまわりに住んでいた人はそれを見た時に、エジプトってすごい、何かいただくことはできないか、いただくべきだと、これらが造られて1000年も経たないうちに…『1000年も』っていうのもヘンですけど、そんなに直近にならないうち、500年ぐらいですかね、エジプトに入り込むんですね。そして100年ぐらい、エジプトを支配する。ナパタというところを中心にクシュ王とかメロエといった人たちがエジプトに入り、あのギザのピラミッドを見て、自分たちの地に小さなピラミッドを造ってエジプトを継承しようと思った。それが今でも残っている、ナパタを中心としたヌビアのピラミッド群なんです。
ヌビアのピラミッドは数がすごいんです。小さいからね。このピラミッドを見ると、エジプトの人たちはエジプトの文化を守ろうという、純粋な気持ちでエジプトに入り込んだということがわかりますね。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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