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| アスワン・ハイダム |
前回、ヌビアは地理的にも歴史的にもアフリカのクッションになっていたという話をしましたけど、このヌビアに悲劇が訪れます。
エジプトがアスワン・ハイダムというのを作ったのです。するとそこから上流の約500kmが全部水浸しになってしまう。そこにある2000以上も遺跡、5000年もの歴史のある遺跡をどうしようということになる。どうしようといわれてもどうしようもない。さすが1960年代の世界というのは活発だったんですね。よし、救えるだけ救おうということで、ユネスコがキャンペーンを打った。水没するヌビアの遺跡を救済しようと。
日本もお金を出しました。毎年1万ドルずつ、4年間。計4万ドル。そして朝日新聞は主催したツタンカーメン展の収益100万ドルを寄付したので、日本では記録としては政府と朝日新聞とで104万ドル送ったのです。 |
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ユネスコのヌビア救済キャンペーンで
移築されたカラブシャ神殿 |
そういった記録で感謝されていますが、もらったものは非常に少なくて、トト神を表すイビスという知恵の神様の彫像がひとつだけ。現在、国立東京博物館に置かれています。
ところで、ヌビアの500kmのところに2000ぐらいと申しましたが、有名なところではカラブシャ神殿とかセブアとかいうのがありますが、特に有名なのはアブ・シンベルの大神殿、小神殿、フィラエ島のイシス神殿でしょう。しかしこれらのすべてをエジプト政府で救うことができず、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツといった国々、またオーストリア、ハンガリー、スペイン、イタリアなどが出資しました。ところが日本はお金を出さなかったんですね。確かな理由はわかりませんけど、大使館の記録を見ますと、日本にはエジプト学をやっている先生がいないので、ということになっています。
正直なところでしょう。しかし、それ以来日本人はエジプトで発掘調査をすることができなくなった。私がエジプトに行ったときにダメといわれたのもこのためですね。そこの長官を連れてきて、日本は発掘大国だ。と粘りに粘りました。1960年代から70年代にかけてすごい遺跡を発掘してましたので、これからも日本の、そしてアジアのエジプト学者を育てて欲しいといってついに認められたのです。ラッキーでした。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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