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ヌビアというのはエジプトとブラックアフリカ、アフリカの奥地とのちょうど中間地点というか接点なんですね。このヌビアの役割は非常に重要でして、エジプトにナイロート系の黒人が攻め込んで来ないための受け皿になっていますし、ローマ時代にはローマの人が奴隷や動物を捕りに行く時にここが受け皿になって、これより南に行けないようになっていますし、ヌビアというのは紀元前から紀元後にかけての4500年から5000年近くにわたって、外国の勢力がアフリカに侵略することを防いでいた、大変重要な役割を持っていたんですね。 |
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| ヌビアの遺跡群 |
歴史的には大変面白いものがあるんですよ。もともとそこに人がいて、ナイル川の上流をずっと下ってきたわけですから都市国家があったんですね。エジプトとうまく付き合っていたのですが、古王国時代の終わりごろ、ピラミッドの時代ですね、エジプトの権力が地方に分散して国家体制がおかしくなって、経済的な部分でみんなが自立するようになった。いわゆる第一中間期ですが、その時代にヌビアの都市国家の王が連合を組んでエジプトに攻め込んでくるわけです。特にセンウセルト3世の時代にはアスワンから今のルクソール近くまで入ろうとしてきたんでエジプトははじめて国の軍隊、それまでは王の私兵だったのが国軍となってヌビアを追い返した。このときの戦争の状況を語っているのがスエズ運河の開通の記念に作られたヴェルディのオペラ『アイーダ』です。捕われて女奴隷となったヌビア王の娘(王女)のアイーダとエジプトの将軍ラダメスとの恋物語。そこにエジプトの王女が絡んでくるという物語。悲劇です。
そういったことでヌビアというのは大変重要な役割を持っていて、ついに第26王朝にはヌビアの国がエジプトを100年ぐらいにわたって支配することになるのです。
そしてここは、1960年代にアスワン・ハイダムによって水没するという悲劇に見舞われるのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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