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| ルクソールの風景 |
カイロから飛行機で約1時間、ルクソールに着くとなんかほっとするんですね。このルクソールというところは、もともとの名前は『ワセト』というんです。神々が集う所という意味で、日本で言えば出雲ですかね、年に一度エジプト中の神様が1000種類。1000人というのもヘンですね、1000の神様が集まります。
ギリシア人がつけた名前は『テーベ』といいます。自分たちが住んでいたテーバイという街の非常に似ていることで勝手にテーバイと呼ぶようになったんです。
ワセトという名前には、1年に1回、エジプト中の神様が集まって儀式をするという、ちゃんと意味がある。それが、ギリシアが紀元前4世紀とか5世紀に入ってきて、自分たちが住んでいたテーバイに似ているからとテーベと呼ぶようになり、それから1000年ぐらい経った7世紀初頭にアラブ人が入ってきて、ナイル川に沿って下から攻めてきた。 |
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ルクソール神殿の塔門 (ルクソール東岸)
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ちょうど、ナイル川が大きく45度にカーブするところがあって、下流から見ていくと、たくさんの神殿の塔門が見えてくるんですが、アラブ人は『たくさん城がある。敵は我々を迎え撃ってるな』と思い込んだんですね。
ルクソールとは「アル・クスール」がなまったもので「クスール」は「キャッスル」の複数形、すなわちここは、城がたくさんあるところ。攻めてきた者を迎え撃つんだ!という、勇ましい名前なんです。これがなまって現在はルクソールとなったのですが、我々はあたかも5000年間ずっとルクソールと言っていたような錯覚に陥っています。
一時期ワセトは、アッシリアに攻めこまれてほとんど見直しされている。歴史というのは大変残酷で、抵抗すると徹底的にやられちゃうんですね。ですから、100万人、100門の都、たくさんのお城があったといわれるこの街はアッシリアにこてんぱんにやられ、人口数万人の街になってしまったのです。その後段々と増えてきて今では50万人の街になりました。今から3000年ぐらい前の半分ということです。今は観光で賑わい、栄えています。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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