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吉村作治 エジプト博物館
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第1回 「ネクロポリス テーベ」 9/3〜
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ネクロポリスとはギリシア語です。埋葬都市とか、死の街ということです。それに対抗してアクロポリスというのもあります。意味は当然、生の街、生者の街ということです。ギリシアにおける生者の街は山の上にあるんですね。ですからギリシアでは山岳都市とか、頂上都市といった感じです。ギリシアとエジプトは基本的に地形などが違っておりまして、ギリシアは山地が多いんです。上の方に人が住んで下の方に神様や死者が住むという発想から来た言葉です。どっちにしてもテーベがネクロポリスといわれるようになったのは、エジプトはギリシアの影響を非常に受けた今から3000年ほど前、紀元前1000年期以降のことです。その前にギリシアという国は、ほとんどバラバラの都市国家でしたから、どっちかというと、エーゲ海のクレタ島とかキプロスとかの方が力があり、エジプトはそれよりもっと力があったわけで、『ネクロポリステーベ』といわれるようになったのは、ギリシアの影響が強くなってからです。
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ネクロポリス テーベの風景
テーベというのはギリシアのテーバイという街、これも信仰の非常に深い神々の信仰都市ですが、テーバイに非常によく似ているところからこの地をテーベという風に名づけたんですね。ホメロスはエジプトに来て、テーバイは百門の街であるなんて言ったことから、ギリシア本土でも大変有名になりました。 古代エジプトの人たちにとってみれば、ナイル川があって、東岸、西岸があって、東岸は生きた人たち、死ぬと西岸に行くということです。西岸にお墓があります。今でも5000以上あるでしょうね。テーベ(=ルクソール)の地が都だった時代は1000年ぐらいですので、5000というのはちょっと少ないかなと思う人もいらっしゃるでしょうけど、古代エジプトの人たち全員がお墓に祭られたわけではありません。お墓を持てたのは貴族とか王族、大変位の高い将軍というような人だけで、あとの農民を中心とした、いわゆる庶民といわれた人たちはナイル川に水葬。流されたわけです。そうすると5日から1週間で地中海に流れていく。その途中で腐乱することによって自然に戻るんですね。気の毒だなあと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。自然に帰るんですから。
ですからこのネクロポリス テーベというのは地形的にリビア砂漠に広がっています。 耕作地からティーイ砂漠を越えて山があり、ここにクルナ村があります。クルナとは、牛の角という意味で、2つの頂上のある山があります。そしてそれを越えた向こう、リビア砂漠の向こう、あの世に行くところであるという、古代エジプトの人にとって見れば大変すばらしいところという意味のところなんですね。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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