今回は要塞としてのナイル川についてお話をしたいと思います。
ナイル川。上空から見ますとすごいですよね。砂漠のところに1本の黒い筋があって、周りに耕作地があり、真ん中にキラキラ光る水の流れがあります。途中で蛇行はしているものの、大きく見るとまっすぐ南から北に流れています。
ナイル川の地図を書きますと、すーっと1本書いて…。エジプトには川は1本しかありませんからね。日本には中くらいのを入れると3000本ぐらい。小さいのも入れると数え切れないほどの川があります。
日本列島の真ん中が山脈で、そこから小さい川がいっぱい流れ出て、やがてそれが集まって中くらいになり、最後には大きな川になるのです。日本の一番長い川が信濃川で350kmですかね、400kmはないんです。1番長いものでそのぐらいです。一方ナイル川はビクトリア湖からスタートして、6700km。エジプト領土だけでも1800kmぐらいあります。それ1本しかない。違う言い方をすれば、人は水を飲まないと死んじゃいますから、エジプト人はこのたった1本のナイル川だけでくらしているんです。だからこの川が枯れたらどうしようと、ナセル大統領はアスワンというエジプトの1番南のところにハイダムを作りました。そこに水を溜めればどんなことが起きてもエジプト人は生きていけるだろう、そして、その水を配置して運河を作れば夏と冬で作物が取れる、二毛作ができると考えたのです。 |
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| リビア砂漠方面から見たナイル川 |
今のナイル川は平和な時の人間のために使われていますが、昔は要塞。川が要塞というのは変ですけどね、「塞」の字は建物を表わしますからね。
敵からエジプトを守る。例えば東側からどんどん攻めてきてもナイル川にぶち当たればそこから西側には行くことができない。川を渡ろうとのろのろやっていれば逆にやられてしまいます。何回もそこを攻めてきていますから、ナイル川を東側に限っていうならば、敵が北や東から攻めてこられてきた場合、ナイル川は城壁の役割、大濠の役割をする。
次に西の方、リビア砂漠から攻めてくるでしょ?西側は取られてしまいますけど、ネクロポリスですから、どうぞ、という感じですね。
末期王朝時代では西からリビアの人たちが攻めてきましたが、西側を攻め、ナイル川を渡ってさらに東側を攻めるということにはならなかった。うまくできてますよね。エジプトはそういう形で真ん中にお濠があったために、西を攻められても東が助かり、東を攻められても西が助かると、合理的ですよね。もう国自体が皇居のお濠で囲まれているようなものだということです。川は運搬というようなことだけでなく、戦略的なことにも使えるということですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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