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| バハルユーセフの風景 |
バハルユーセフの“バハル”とは『たくさん水のあるところ』という意味です。“ユーセフ”はアラビア語で『ヨセフ』。『ヨセフが造った運河』ということですが、実際にはヨセフという人が造ったのではなく、センウセレト3世という王様が、このファイユームを開拓するためにはカルーン湖だけでは水が足りなくなる心配があるということで、ナイル川とカルーン湖を結ぶ運河を造った。そうですね、約1000キロ近く。ずっと上流の方から引っ張ってきていますから、その間を開拓して水を配分しました。
なぜこんなことをしたかというと、ナイル川が氾濫して耕作地に水がたまると農民は農業ができなくなる。それを何とかするために考え出されたのがピラミッドだったのです。すなわち、ピラミッドは公共事業として造られたものなんですね。ところがピラミッドを500年も造っているとエジプトの国力がどんどん落ちてくる。余りに道楽が過ぎたという感じでしょうかね。結局古王国時代の末にピラミッドを造ることをやめてしまう。そして、もうちょっと簡単なものを造ろうということになって、運河を造ったのです。そういうことで、中王国時代の初期においてはピラミッド造りの代わりになる公共事業だったんです。 |
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ネフェルプタハ王女の襟飾り (ハワラ出土) |
この公共事業を完成させたのはセンウセレト3世のあとの王様でアメンエムハト3世という人なのですが、そのことによって王の領地が安定的に増えた。エジプト王家の財政的な基盤を作ったんですね。農業では土地は全て国王のものなのですが、それを友達とか知り合いとか、戦いに功績のあった人に分かち与える。使用権を与えるということですかね。そこで上がった収穫の半分をもらい、そのまた半分をピラミッドを造ったりする時に提供して、つまり自分たちがもらえるのは収穫量の4分の1だったのです。半分を土地持ちの人にあげなければならない。もし、領地が王家のものであれば、この分をあげなくてすむわけですからどんどん裕福になる。事実、中王国時代の王家はかなり裕福だったのです。そのため、いろんな遺跡から王女や王子のアクセサリー、ファッションといった系統のものがたくさん出ています。ここが古王国時代と中王国時代の違いです。古王国時代ではあのような大きなピラミッドを造ることによって王家が裕福であることをみせつけたのですが、中王国時代では内面が充実したというか生活の質が上がったといえます。これがバハルユーセフの功罪です。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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