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吉村作治 エジプト博物館
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第1回 「メンフィスの歴史」 5/7〜
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メンフィスは元の名を「メンネフェル」といいまして、「とても美しい、いい街」という意味です。
もともとこの街はプタハ神を中心とした街でした。プタハ神というのは人間を作り出した神様です。
メンフィスは古代エジプトで最初の都でしたから、プタハ神は人間を作り出してこの街に送り出し、エジプト全体を人間を使って支配させたということで、由緒正しい街なんですね。初期王朝、古王国というこの時代、約500〜600年を通して都でしたし、そのあと宗教の中心地として下エジプトを支配する。または外国(北の方)から攻めてくる人たちを防御する国境守備隊の宿営地、いってみれば司令部としても存在していた。すなわち古代エジプト3000年間の中心的な街だったんですね。
また、その昔は「白壁の街」という意味をもつ名前で、街の周りを全部、白い塀で囲んでいました。古代エジプトの街は基本的に街の外に塀とか城塞を作らないのですが、重要な街、ということで作ったのでしょう。大変栄えていたということです。

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ラムセス2世の巨像(プタハ神殿跡)
今ではミト・ラヒーナという、寒村といっていいような村になっています。年間に200万人ぐらいの外国人観光客が来て、その外国人に群がるお土産屋さんなどでにぎわっているようには見えますが、村全体が大きいのでやはり、ひっそりとしています。現在残っているものは割と少ないですが、ラムセス2世の彫像、これは大きな物です。小さな物はいろいろあります。
古代の中心地だったところは今のミト・ラヒーナ村の2キロぐらい行ったところ、村の境界、もう北の端のところに小高い丘がありまして、そこに王宮があっただろうといわれています。
とにかくメンフィスという街は、古代エジプト3000年間を通して、下エジプトの中心的な街だったということです。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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