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| ケメット(黒い土地) |
今回はエジプトにまつわる話、「2つの土地」についてお話ししたいと思います。
エジプトで「2つの土地」というと、2通りあります。ひとつは「砂漠と耕作地」。もうひとつは「上エジプトと下エジプト」。エジプトというのはなかなか面白いでしょ?
現在「エジプト」と言っていますが、古代エジプトの時代には「エジプト」とは呼んでいませんでした。「コプト」といわれていました。今でも、コプト語とかコプト文化、コプト宗教という言葉で残っています。このコプトとはギリシア人がエジプトという意味で言ったのですが、これは2つの土地に絡んできます。
エジプトには「ケメット」と呼ばれる耕作地があります。ナイル川の周辺の数キロから数10キロにわたったところです。ナイル川は河岸段地で今は7段目の河岸段丘のところで耕作をしてるのですが、その河岸段地の耕作地をケメット(黒い土地)というんですね。そして砂漠をデシェレット(赤い土地)といいます。このケメットをギリシア人は「コプト」と聞いて、あの国はコプトという国だと思った。こういうところからきたんですね。
これが「砂漠と耕作地」=「赤い土地と黒い土地」という2つの土地の話です。 |
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| 下エジプトの農村 |
もうひとつの「上エジプトと下エジプト」はどうかといいますと、
ます、上エジプトは「ナイル・ヴァレイ」というぐらいですから河岸段地で谷状になっています。少しゆったりとした谷ですけどね。人々の生業、どのように暮らしているかといいますと、まず農業ですね。しかし土地が狭いので牧畜もやらないといけない。半農半牧。これをなりわいとしていました。一方、下エジプトはナイルの下流です。地中海に注ぎ込む寸前のデルタ地帯です。ロゼッタ支流という、ヒエログリフを解く鍵となったロゼッタストーンが見つかった有名な町があるところですけれど、ここは農業が中心。全農です。
この2つの土地でエジプトは成り立っています。今から5000年前にエジプトは統一されました。王は上エジプトと下エジプトの両方を統治していると考えられ、その後3000年間ずっと、エジプトの王のことを「上下エジプトの統治者である誰それ」という言い方をしたのです。
この「2つの土地」というのは非常に重要なことですが、この他にも「この世とあの世」、「西と東」という見方による2つの土地もあります。古代エジプトにおいては「2つの」というのはキーワードになっている、ということです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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