カイロというのは「カーヘラ」というアラビア語からきてるんですよ。「勝利の都」という意味です。「ナス」という言葉も勝利という意味で、アスワン・ハイダムを造ったナセル大統領は「ナス」というのが正式な名前で、「勝利」なんです。
「ナス」はひとつひとつの戦いで勝っていくこと。「カーヘラ」はその積み重ねの上に立って磐石たるといいますか、確立した勝利をいいます。
今から1300年以上前にできたカイロという町は今でも残っていて、ただひたすら繁栄の方向に向かっています。なんたって、カイロの人口、ご存じですか?1500万人になんなんとする。1500万人というと、東京都よりも多いんですよ。広さは東京の半分ぐらい。大カイロ、全部あわせても、です。
東京の半分の広さのところに東京より多くの人が住んでいるのですからごみごみというか、すごい雑踏です。パリもロンドンも、東京もニューヨークも比べ物になりません。ジャカルタがいい勝負って感じでしょうかね。
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とにかく繁栄に繁栄ですよ。その基礎を作ったのがアムルという将軍です。639年に今のアラビア半島からずーっと勢力を広げてきて、エジプトに着きました。当時のビザンチンには軍隊がいて、エジプトはビザンチン帝国の支配下にあったのですけれども、そこに攻め込んできました。
最初は2000人ぐらい。ユダヤ人の傭兵もいたし、キリスト教徒の傭兵もいたし、もちろんイスラム教徒が中心ですけれども、こういう2000人ぐらいの軍隊でエジプトに一気に入ってきてバビロン城に立てこもっていたビザンチンの軍勢を追い払い、そこに町を作ったのです。
今のカイロの郊外というか、オールド・カイロといわれているところのアル=フスタートを中心に始めていった。フスタートとはテントとか、バラックという意味で、まさに軍事兵営といいますか、兵舎といった方がいいかもしれませんが、そういうものを造ったところから始まったのです。
アムルが639年に町を作ってからずっと広がっていって、この1500年から1600年ぐらいにわたり続き、今のカイロがあるのです。
今では北の方に中心地が移って、そこに町ができていますけど、ひたすら大きくなっております。近代化されています。
すごいですね、やっぱり。イスラムの力は。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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