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吉村作治 エジプト博物館
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第2回 「プトレマイオス1世の野望」 2/12〜
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古代アレキサンドリアの町
コム・アル=ディッカ円形劇場
アレキサンダー大王は30歳そこそこで亡くなってしまいます。マラリアという説もありますが、死因はよくわかっていません。バビロンという所で急に亡くなってしまうのです。悲しむ以前に一気に混乱が起こります。
その中で一番アレキサンダー大王に近かったプトレマイオスという人が、アレキサンダー大王の遺体を車に載せて一気にエジプトに持っていき、エジプトを都にしようとした。アレキサンダー大王が生前、エジプトのアレキサンドリアを帝国の都にすると言っていたと主張したのです。
全体的な地理的な場所とか力ということで考えますと、今のイラクのところにあるバビロンというところが都になるわけで、側近が集まって国民評議会というのを作り、集団支配をしようとするのですが、その中で特に有力だったプトレマイオスが自分はエジプトを独立させる。エジプト王国を作ると言ってきかない。都の国民評議会と対立してケンカするんですね。
では、どうしてプトレマイオスがそんなに力があるかというと、父親のラゴスという人がアレキサンダー大王の幼なじみで友としてずっと一緒に戦ってきた人だったのです。プトレマイオスはこのラゴスにくっついていましたから、子どもの時からアレキサンダー大王に可愛がられていたのです。そんなことで自分がナンバーワンだと思っていたようなんですね。
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アレキサンダー大王のレリーフ
(ルクソール、ルクソール神殿)
しかし、アレキサンダー大王の子どもとか、いろいろな人たちが殺し合いをするのがイヤになり、アレキサンダー大王の跡継ぎになろうという野心、野望が大きくなってきた。この際、一番いいエジプト…農業生産もいいし、人々もいい。まず人口が多いですからね、そして技術も進んでいたエジプトを自分の国にしようと思ったに違いないですね。しかしこれは大変な軋轢がありまして、7〜8年にわたる長い戦いののちにプトレマイオス1世は、なんといわれてもエジプトは自分たちの国である!と独立宣言をしたのです。
紀元前282年に亡くなるのですが、偉大な人物が死んだあとというのはなかなかむずかしく、そのあとのプトレマイオス王朝も結構大変な思いをするんですけども、それにしてもプトレマイオス1世がエジプトを統治してその後約300年間、プトレマイオス朝は続いたのです。素晴らしい国ができたということですね。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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