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アレキサンドリアはその名が示すとおり、アレキサンダー大王が作った町です。アレキサンダー大王というのは古代史の中でも本当に傑出した人物で、世界帝国という、我々が考えも及ばなかった大きな地域の国を作ったわけです。国を作ったという考えよりも領土を増やしたと考えた方がいいんじゃないかという歴史家もいますが、どちらにしても、偉大な人であることには間違いないですね。「アレキサンダー・ザ・グレイト」といって、"グレイト=偉大"のところに定冠詞"ザ"がついてるぐらいですから。こういう人はなかなかいないですね。
ただ、アレキサンダー大王のすごさというのは、単に戦争して他の地域に侵略して、そこを自分のものにする。という程度ではないんですね。そこの土地を充分に知ろうとする気持ちがありました。ですから軍団の中にたくさんの文化人、学者を連れていって、そこでいろんなことを学んで記録に残した。また、いろんな国に学校などを作って自分の持っている知識や見解を広めた。それから、軍隊が動く時には兵站といって食糧から何からをいっぱい持って歩くのですが、アレキサンダー大王は軍隊はスリムにして、戦闘要員だけ。必要なものは行った所々での現地調達でした。しかも強奪ではなく、物々交換や知識とか知的財産との交換をしていた。また、そこにいた人で、逆らわない人を皆、自分の帝国の中心人物にするということを行っていました。 |
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アレキサンダー大王頭像 (アレキサンドリア、 グレコ・ローマン博物館蔵) |
アレキサンダー大王というのは見方によれば侵略者なのですが、どこの国からも愛された。特にエジプトでは、アレキサンダー大王が入ってきてそれまで支配していた獰猛なペルシャの人たちを追い出してくれたというだけで英雄ですね。しかも、アレキサンダー大王をエジプトのファラオにした。シーワ・オワシスというところでエジプトのファラオとしての戴冠式までやっていて、エジプトの名前すらもらっています。
アレキサンドリアはエジプトの地中海沿岸の素晴らしい町ですけれども、アレキサンダー大王がかなりテコ入れして、相当いい町を作ったようですね。その後続いたプトレマイオスによって完成されたわけですけども、そこから300年以上も経ってローマ帝国をはじめて作ったオクタビアヌスがアレキサンダー大王の墓参りをしたという記録があるんです。
しかし、そのお墓はまだ見つかっていないんです。大変ミステリアスなところです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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