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吉村作治 エジプト博物館
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第4回 「タニスとサイス」 1/22〜
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今回はタニスという町と、その正反対、西側にあるサイスという町についてお話します。
古代エジプトではどちらかというと、地図上の左側が古く、右側が新しいという感じです。
この東側タニスは今ではサン=エル・ハジェルと呼ばれていて、「石ころはない」という意味で「大変土が豊か」ということです。一方西側のサイスもよく似ていてサー=エル・ハジェルといわれ、「石が結構ある」。砂漠の近くという意味ですね。西部砂漠に近い方です。
サイスはネイト女神という、女性の神様の信仰地で紀元前7世紀、今から2700〜2800年前、第24王朝と第26王朝の都があった町です。(第25王朝の都はちょっと離れたところにありました)
プサメティコス1世という人がここを中心として西アジアの東側のメソポタミアからアッシリアが攻めてきたときにこの軍隊と対決する拠点としたのがサイスでした。
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タニスで発見された
プスセンネス1世の黄金のマスク
(カイロ、エジプト博物館蔵)
実際にはアッシリアとエジプトが戦う時に南のヌビアの方からクシュの軍隊が上がってきてプサメティコス1世を助けようとするのですが、クシュの人たちがエジプトを狙っているのではないかということになり、こことも戦うことになるのです。
サイス王朝というのは結構大変でこのほかにも西側のリビアから遊牧民が入ってきて、三方から攻められた。第25王朝の時に一度はやられてしまうのですがよく頑張って、第26王朝の時に再び力を持ってくるような、こんがらがっているけれど、独自性を持った大変いい遺跡です。
ただ、今行くとガッカリしますよ。完全にこわされて持ってかれちゃってます。せいぜい10から15の石が残っているだけ。それに対してタニスは素晴らしく、プスセンネス1世をはじめ、周辺で未盗掘の王墓が見つかりました。ここは華々しくてエジプト学の父といわれるピートリー、その前のマリエット、戦後はピエルモンテといった歴史に残るエジプト学者が発掘を行い、たくさんの物が出ています。一番有名なのはプスセンネスの黄金のマスクです。ツタンカーメンの黄金のマスクに次ぐような素晴らしい黄金のマスクで日本にも来ました。デルタ地帯にはこのほかにもいっぱいありますので、エジプトにいらしたらぜひともこのデルタ地帯をゆっくり回るといいですね。素晴らしい田園です。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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