デルタってご存じですよね。アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ…という、ギリシャ文字のD(Δ、δ)です。日本語に訳すと「三角州」。デルタの文字が三角に見えるところから地理用語になったのです。
エジプトではカイロを基点に、ナイル川が扇状に広がっていくんですね。カイロまで1本できて、そこから3、4本の支流に分かれている。有名なのにダミエッタ支流、ロゼッタ支流というのがありますが、この他に細かい支流に分かれているんです。
カイロからアレキサンドリアに行く時に砂漠道路と農業道路というのがありまして、農業道路の方を走っていきますと突然国道の左側のところに帆かけ船の帆が見えるんです。
「何だこれは。風を受けて車が走っているのかな」と、止まって見ると支流が流れていて、少し下がったところにヨットが荷物を運んでいるという風景があります。デルタ地帯に行くと支流と運河が網の目のようにあるんですね。 |
古代エジプト、今から5000年ほど前、デルタ地帯は湿地帯でいい環境の農地ではありませんでした。水をどうはけさせるかが古代エジプト人にとって大変だったようです。今では、エジプトの農業生産の約6割ぐらいがデルタ地帯で収穫され、上エジプトの方で4割ぐらい。土地の割り振りとしてはデルタ地帯と上エジプト地帯で大体50%ずつぐらいなのですが、収益率がデルタ地帯のほうがいいんですね。というのは、ナイル川がずっと流れてきて水はけがよくなったために農業生産量が多くなったということです。
デルタ地帯、下エジプトの人たちは柔軟で商人にも向いています。いろんな工業なんかもできてます。ですから、農業だけでなく、工業、商業なども非常に盛んで、私たちが話しやすいのは何といってもデルタ地帯の人ですね。デルタ地帯というのは湿地帯で、最初のうち、ピラミッドの時代はなかなか定着しなかったのですが、新王国時代以降、地中海が中心となった地域との交易、国際関係がはじまり、政治・経済の中心が上エジプトからおりてきて、いろいろな町が栄えてきたんですね。今から3000年ぐらい前にはデルタ地帯中心にエジプトが政治・経済共に進んでいったといえます。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在サイバー大学学長。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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