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アレキサンダー大王頭像 (アレキサンドリア、 グレコ・ローマン博物館蔵) |
新王国時代、あれだけ栄えたにもかかわらず、エジプトは国際化によって独自性がなくなり、いろんな国――南のヌビアからも攻め込まれ、乱れてゆきます。
この時代を末期王朝時代というのですが、末期王朝時代の混乱を治めたのは、アレキサンダー大王でした。アレキサンダー大王はすごい人で、いろんなことをしたのですが、32歳という若さで亡くなってしまいます。そのあと、エジプトを支配したのは大王の右腕だったプトレマイオスという人です。
このプトレマイオス王という人も本当にすごい人でした。ギリシャ人といわれていますが、当時ギリシャという国はなく、マケドニアという、ギリシャ地方の中の大きな国家の大王でした。ギリシャの都市国家、アテナイとかテーベとかスパルタなどを一気に抑さえつけ、ギリシャ地域全部を束ねてペルシャと戦い、その時ずっとアレキサンダーにくっついていた側近だったのです。 |
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古来アレキサンとリアの町 コム・アル=ディッカ円形劇場 |
プトレマイオスは、アレキサンダー大王がバビロンで亡くなった時、急いで遺骸を持ってエジプトに入りました。そしてエジプトは、大王が作った町、アレキサンドリアを中心として約300年、栄えたのです。エジプトをバックにしたギリシャの王朝、マケドニアが300年の長きに渡って栄えると、文化が非常に爛熟するんですね。エジプトもプトレマイオス王朝の末期、クレオパトラの時代にはすごかったですね。
ここには世界で一番の50万冊の蔵書を持った図書館がありました。図書館だから本があって当たり前と思われるでしょうが、今でこそ印刷技術がありますから、何万部という本を作ることができますけど、当時は全て手書き。全部手で書かれたものです。アレキサンドリアに外国から人々はそこの本を写しにやってくるのです。その時には本を1冊持ってこなければならなかったので、こうやって本が増えていくわけです。
図書館を中心とした学問の世界をムセイオンといいます。今の『ミュージアム』という言葉の原型です。このムセイオンを中心にして、哲学者や数学者が大勢出てきました。皆さんご存じの『平行線は結ばれない』と言った、ユークリッドの幾何学もここから生まれたのですね。
そういうわけでプトレマイオス王朝はギリシャ人の王朝であるけれど、実はエジプトを中心に行われていたということで、エジプトのいくつかのピークの最後を飾るにふさわしい、素晴らしい文化だったと思います。
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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