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| ギザのピラミッド |
ピラミッドを造る…。これはすごいことでした。全国から1日1万人ぐらい集まったんじゃないですかね。1日といっても毎日毎日来るわけではなく、合宿生活をして4ヶ月間、石を切って、石を運んで、石を積んだわけです。そのおかげで国は富んだ。しかし、でかい物を造りすぎたために大変な浪費になった。そうしているうち、地方の豪族が力を持ち始め、それぞれ独立したような感じになり、ひとつの国のような態をなしながら実はバラバラという状態。しかし、不思議なことに、それまでぎゅっと詰まっていたものがふっと分かれると不安になるんですね。指導力が欲しくなる。そうして王が誕生するのです。不思議なもんですね、人類の歴史というのは。これが中王国時代です。 |
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| カルン湖 |
中王国時代の王になったメンチュヘテプ2世とか3世、また、センウセルトらは古王国時代のように、なにがなんでもと、ギューギューにするのはよそう、ある程度地方を自由にさせながら、中央の言うことを聞かせようと考えたのです。そのためには「税金」。税金というのは納めれば許してやる。納めなければたたくぞ。というシステムです。外国が外国を支配するというのは基本的に官僚組織を自分のものにして税金を吸い上げるということですから、それ以外は軍隊を持つとか外交関係を結ぶといったことなんですね。まあともかく、その中王国時代は、ピラミッドを造りすぎた反省もあり、国民の役に立つというか、国民が見て自分たちの得になるようなことをやらないとダメだろうということで運河を造ることになったのです。リビア砂漠のとこのカルン湖という湖とナイル川をつないでナイル川が氾濫したときにその湖に水を貯めておいて、氾濫が収まったところでその水を流してやるというようなシステムを考えた。これもひとつの公共事業で国家的な事業ですからね、すごくうまくいったんです。100年ぐらいかけて大変な思いをして運河を造った。そうして増えた農地は王様のものになる。すると農民は「なんだ、一生懸命やったのに、儲かるのは王様だけじゃないか」と不平、不満を言うようになるんですね。国が乱れ、弱気になったところへ外国が一気に入ってくる。中王国時代は350年か400年ぐらいしか続かなかったのですが、後半は外国がすっと入ってきてエジプトのデルタ地帯を支配した。そのことで中王国時代は終わってしまうんです。
まあ、皮肉なもんですね。国民のためを思って王様が一生懸命作ったものが、誰かの得になるとわかった瞬間に国民がそっぽを向いてしまった。なかなか難しいですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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