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古代アレキサンドリア灯台の跡地 カイト・ベイ (アレキサンドリア) |
プトレマイオス1世が開いたプトレマイオス朝は大変な勢いで繁栄してゆくんですね。
まず、知の殿堂ムセイオンというのを作りまして、ギリシャ本土やレバント地域、いまのシリアのあたりから人を集めます。何をやるかというと、大王の遺志を継いで国を固めるために知識を授与する。他には皆さんもご存知と思いますが、『灯台』。人類史上始めての灯台をファロス島という所に造りまして、向こう側を行く船が安全に行くように、ということなんですね。
アレキサンダー大王の墓がどこにあるのかは今もよくわかっていません。このファロスの灯台の向こう側にあって、もう沈んでしまったためにもうわからないのだという人もいますし、シーワ・オアシスにあるという人、アレキサンドリアの町のどこかにあるという人、いろいろです。大王の墓が見つかればそのすぐそばからクレオパトラの墓が見つかると思われます。近くに作りたがっていましたから。
このように、いろんなことがあり、謎が謎を呼んでいるのです。 |
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カエサル像 (アレキサンドリア、 グレコ・ローマン博物館蔵) |
プトレマイオス朝が華やかになったころ、地中海の西の方にローマという町ができまして、そのローマがどんどん大きくなってラテンを併合し、エトルリアも併合し、イタリア半島を全て支配していよいよ東地中海に足を伸ばしてくるころに、皆さんご存知のカエサル(シーザー)がゲルマンを攻め入り、イギリスまでも全部攻めて帰ってくるのです。
ちょうどローマは三頭政治、クラッススとポンペイウスの三人でやっていたのですが地位が逆転してカエサルが力を持ち始めます。そうするとポンペイウスはエジプトの方に逃げてきて、エジプトの軍隊を背景に戦おうということになるわけです。クレオパトラ7世の父親であるプトレマイオス12世が亡くなる、という状況だったのですが、そんな中、カエサルはポンペイウスを追ってアレキサンドリアに来るのです。
この辺のところがその後の世界史を決定する、大変重要なところとなるのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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