オリエントは紀元前千年紀というんですかね、この時代、混乱に次ぐ混乱でアッシリアがばっと力を持って一気に周りを全面に滅ぼして、エジプトまで行ってエジプトも平定して、さっと戻った。カッコいいんですけど、そんなことをしてる間にもうちょっと南のチグリス・ユーフラテスの側の周りのオリエントの国でバビロニアという国が出てくるんですね。この国がががーっと力を伸ばしてきた。そして戦争が始まるのですが、あっけなくアッシリアが負けてしまうんです。ほんとにあっけなかった。
バビロニアは、アッシリアが狙って支配したエジプトが欲しくなる。そこでバビロニアはギリシア人の傭兵を使って徹底的にユダ王国をやっつけ、一気にバビロニアがエジプトを支配することになるのですが、今度はもう少し東にあったペルシアが力をつけてくるんです。
ペルシアはどこで力を持ったかといいますと、アッシリアが滅びた時、アッシリアを越えてギリシアと戦ったんですね。ギリシアとペルシアの戦いはすごいんです。300年ぐらい戦ったのですが、その真っ只中に入ってきた時、アッシリアを滅ぼしたバビロニアはベルシアにとっては非常に邪魔な存在なんですね。口の中に入ったトゲみたいな感じで、じゃあ、これをやっつけようと、一気に攻めていくとバビロニアはまたコロッとやられてしまう。で、いよいよペルシアがエジプトに入ってきます。ダレイオス2世という人が2回にわたってエジプトに入ってくるのです。 |
どうしてエジプトを支配することになったか。ギリシアのヘロドトスという歴史家によると、王女を妻にくれといったら、王女ではなく普通の貴族の娘が寄こされ、侮辱だと怒ったからだとか、もともとダレイオス2世にはエジプトの血が入っていたからだとか、母親がいじめられた仕返しだとか。いろいろな理由が書かれていますが、ペルシアに関してはギリシア人の言うことはあてになりません。ギリシアはペルシアの宿敵ですからね。
そういう中でエジプトを支配したダレイオス2世は歴史的にはかなりの虐殺をしたといわれていますが、実際の証拠によればそうではなく、ペルシアの支配は、歴史的に伝えられているほどのことではないと最近では言われるようになりましたが、ペルシアの支配下の間、エジプトは絶えず叛乱してペルシアをなんとかしなければいけないという機運が出てきたわけです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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