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アッシュールバニパルのレリーフ (ロンドン、大英博物館蔵) |
アッシリアというのは、今のシリアとイラクの北部ぐらいのところに勢力を持っていた国なのですが、これがエジプトに攻め込んできた。この時まだ南の勢力、ヌビアの勢力はいたんですが、そこでもうひとつ、ユダ王国というのが中に入って三つ巴というか、四つ巴で戦っていたのです。アッシリアにはアッシュールバニパルという王がいまして、アッシリアの忠孝の祖というか力をつけた王で大変勇猛果敢な人でした。自ら先頭に立ってエジプトに攻め込み、エジプトを自分のものにするという意欲がすごかったんですね。まず、メンフィスを落としてテーベに行った。ここでの大虐殺というのは古代エジプト3000年の歴史の中で最もすごかったといわれています。特に神官とか王族といったものは一人残らず…厳密には一人だけ、その後、エジプト傀儡政権を作ったネカウ1世という人だけを残して、あとはほとんど殺してしまった。これは歴史に残りますね。
エジプトに入ってきた外国勢力というのは、最初は激しいのですが、段々とエジプトの偉大さを知って、エジプトを尊敬し始めるんです。政治にしても、宗教的なもの、人々の暮らしぶり、国のポテンシャリティ、富ですね。さまざまなものに対して尊敬の念を抱き始める。しかし、このアッシリアのアッシュールバニパルという人は全くそのようなことを思わなかった。とくかく搾取だけを狙ったという、古代エジプト3000年の歴史の中で最大の悪人でしょう。エジプトを尊敬しなかった外国の支配者は唯一この人だけといわれています。 |
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オシリスの姿をしたプサムテク1世 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
アッシュールバニパルは、このひとり残ったネカウ一世が傀儡政権を立て、アッシリア自身も平定して、南のクシュの王だったタハルカ王を追い返したら、さっさと国に戻ってエジプトを間接統治していたんですね。ネカウ1世の息子で後継者のプサムテク1世の時代に間接支配は受けているんですが、エジプトはエジプトなりにやっていけるのではないか、ということになっていきます。
そこでネカウ1世とプサムテク1世、その次のネカウ2世といった人たちはエジプトの古い時代、ピラミッド時代の復興をタハルカ王の続きとしてやり始めるんです。
歴史というのはこの辺のところがよくわからないのですが、アッシリアというのはエジプトの農産品、食料だけを狙ったのかなと思うほどあっさりとした攻撃だったのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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