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シャバタカ王の像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
ヌビアというのは前にもお話したと思いますが「黒い」という意味で、黒人のいるところということです。
歴史の中でも黒人の王朝は非常に少なく、エジプト史においても3000年間でたった1度だけ、
30年程度と非常に短い期間でした。ピアンキというのはすごい人でした。エジプト全土を一気に占領したのです。
ピアンキがそのままずっと生きていれば、かなりニラミがきいたでしょうが、割と早い時期に亡くなりまして、その後、
シャバカという人が王位に就きました。
西アジア、メソポタミアのアッシリアという国では、サルゴン2世という人がエジプトを自分の国のものにしようとしたのですが、
北の方、アルメニアあたりの部族がアッシリアに攻撃をしかけてきて、そことイロイロやっているうちにエジプトどころではなくなってきた。
北との戦いで大変だったわけなんです。ですからアッシリアはうまい具合にエジプトに目をつけたのですが、
実際にサルゴン2世の時にはエジプトを攻めることができなかった。しかしその後、エジプトの王がシャバタカになったとき、
アッシリアもセンナケリブという王になりました。この人も賢王といわれていますが、
この人はまず、アッシリアとエジプトの間にあるユタ王国を攻めるんです。それに対してエジプトは軍勢、
援軍を送って戦うのですが、じきにシャバタカ王もセンナケリブ王も亡くなります。そして第三段階、
タハルカというエジプトの王とアッシュールバニパルというアッシリア最高の王(イラクのフセイン元大統領が自分はこの王の生まれ変わりと言ったほどです)の時代になります。 |
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タハルカ王のスフィンクス (大英博物館蔵) |
アッシュールバニパルは一気にメンフィスを落としてテーベにまで行きます。とにかく、自分に反抗する者は皆殺しです。大臣だろうと貴族だろうと全部死刑。そしてついにテーベを支配してしまいます。ところがこのアッシュールバニパルは戦うことが好きというか、戦うのが中心なんですね。一気にエジプトを攻めると、さっと戻ってしまうんです。これは珍しいことです。
エジプトは『あれ?どうしたらいいんだろう?』ということになる。
この辺のところはよくわからないのですが、歴史というのは全てが解明できるというわけではないんですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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