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ラムセス3世像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
20王朝のラムセス3世は、なんとかエジプトが大国として成り立っていけるようにと、
地中海全体にニラミをきかせていたんですね。
しかし、そのラムセス3世が亡くなり、20王朝が終わるとエジプトは求心力を失い、
全体が可もなく不可もなくという状況になっていました。力が均衡し、
王はいて王国としての体面は保たれているんだけど、王の言う通りには動かない。
ノモスがそれぞれに自由にやっていくようになっていた。
一方、ラムセス3世によって追い返されたリビアの人たちは、
なんとかエジプトに再上陸したいという気持ちを持っていました。
そして、エジプトのノモスのひとつ、ブバスティスの長がリビアのシェションクという人を傭兵として雇ったのです。 |
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このシェションクという人がまた、素晴らしい人で、じきにエジプトの州知事もファラオも大したことないなと思うようになり、
自分の方がよほど力があるので、王になってみようという妙な気持ちを起こしまして、
実際にやってみると隣りの州もそのまた隣りの州もシェションクの配下に入ってしまう。
そして、10年もしないうちにあっという間にエジプト全土を統一してしまったのです。
ごちゃごちゃと求心力を失った国がシェションクの下にひとつの王国として成り立ってしまった。
王になってみると欲が出てきて、リビアの出身でありながら、エジプトへの愛国心が起きてきて、
エジプトをもっと広くしようと思うようになる。よし、攻めていこうとどんどん攻めていった。
トトメス3世の時代のように、チグリス・ユーフラテスあたりまでとはいかなくても、メギドという、今のイスラエルの中ぐらいまで、
攻め込んでエジプトを大きな国にしてしまったという、不思議なことが起きたのです。歴史から見るとリビア人の王朝といいますか、
本人はエジプトに入ってきていつの間にかエジプト人になり、エジプトの王になり、
エジプトの領土を大きくしたという誇りを持ってしまったのです。
外国人支配といいましてもエジプトにはなかなか深いものがあるんですね。
そこに入ってきた人をエジプト人にしてしまうということなんですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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