プスセンネス1世、2世、そのほかにもオソルコンとか、名君というべき王が出たのですが、全体的に歴史の中心は地中海の北の方に移りつつありましたね。エジプトは第20王朝になってラムセス3世の時に来たから攻撃されて、なんとかこらえた。その時に追い返された海の民の人々はなんと西隣のリビアの方に逃れたんですね。そして、戦うことによってエジプトを手に入れるのは難しいと、少しずつ移動していった。そうやって150年ぐらいかけてエジプトに入っていったリビア人の中から天才的な人が出てきました。シェションク1世という人です。
こうして、プスセンネス1世の後の第22王朝はリビア王朝とさえいわれるようになるわけです。
シェションク1世というのはすごい人で、このあとの第23王朝、第24王朝のほとんどはシェションク1世の子孫または子孫女性と結婚した異民族やエジプト人たちによって作られました。
この間100年ぐらいにわたってシェションク1世の力が及ぶんですね。 |
しかも、エジプトを支配しただけでなく、パレスチナの方に行くんです。今のイスラエルのエルサレムの町を攻め込んで占領してしまうんですね。そこのところにソロモンのあと、ヘブライ王国はひとつの国としてまとまっていられなくて北側にイスラエル王国、南側にユダ王国というふたつがあって
その中間ぐらいのところにエルサレムがあったのですが、シェションク1世は一気にこの両方をやっつけようと攻め込んだわけです。
実際には壊滅することはなかったのですがこの二つのヘブライ系の国はそのままエジプトの支配下に入ります。当時メソポタミアの方で、都市国家が少しずつ力を持つようになってきていて、エジプトに攻めてきたのですが、このときの緩衝地帯となったのです。
一方ではシェションク1世の子孫は北だけでなく、南の方にも攻め込んでいました。なぜかというと、南の方のクシュからエジプトを狙って攻めてきていたからです。
リビア人ながらエジプト魂も出てきて、愛国心からエジプトを本当の意味で独立させようとした。
そういうことでエジプトがいよいよ本当の意味で第20王朝以来の独立を勝ちとる夜明けを迎えるわけです。 |
|
●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
| 情報提供: |
 |
|
|
|
 |