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プスセンネス1世王墓入口 (デルタ、サン・アル=ハジャーム) |
タニスというのは、古代エジプトの都です。もともと上エジプトの都であったテーベ(旧名・ワセト、現在のルクソール)からラムセス2世が第19王朝にペル・ラムセスというところに都を移し、その後ヘリホルという人が元に戻したのですがそれを再びデルタ地帯に移した。それがタニスです。
このタニスを発見した人はフランス隊のピエル・モンテという人なのですが、1939年と40年にデルタ地帯を発掘し、プスセンネス1世の墓を見つけました。この墓は、今でもどうすればこんなものが見つかったのだろうと思うほどびっくるするところにありました。そもそもデルタというのは湿地帯だし、タニスはもともと港町ですからすぐそばまで海、地中海が来ています。そんなところを掘ったらお墓が見つかったのですが、未盗掘。正真正銘の未盗掘でした。
未盗掘というと、皆さんが思い出すのはツタンカーメンですよね。1922年にイギリスのエジプト学者ハワード・カーターによって発見されたのですが、このときの衝撃に比べれば1940年に発見された、このタニスの発見はあまり知られていないのですが、実はこのプスセンネス1世のお墓からはツタンカーメンの黄金のマスクほどではないとはいえ、それに次ぐほどの黄金のマスクが見つかっているんですよ。 |
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プスセンネス1世の黄金のマスク (カイロ・エジプト博物館蔵) |
ひとつ驚くべきは、プスセンネス1世のミイラ、かなり傷んではいましたがこのミイラが入っていた人形棺は銀でできていたのです。ツタンカーメンのものは金でした。これだけでみると、時代が新しくなったからとか、王の力がなかったからとかお思いになるかもしれませんが、実はこの時代は金より銀の方が価値が高かった、というか、値段が高かったんですね。ただ、銀は錆びるので嫌われていて、アクセサリーなど、しょっちゅう磨かれるものには使われていましたが、お棺に使われたのはあとにも先にもプスセンネス1世がはじめてだったのです。
このプスセンネス1世のミイラが入っている石棺は、なんとテーベの王家の谷から持ってきたのもなんですね。改ざんされているのでもともと誰のものだったのかはわからないのですが、石の質や形から第19王朝のものだと思われます。
これが1940年に見つかって、タニスという都が明らかになったのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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