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ラムセス3世像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
第2中間期とか、第3中間期とか、中間期というのはよくわからないですよね。よくわからないから中間期と名前をつけているのです。きちんとした王朝関係、すなわち王様と臣下と国民という関係が安定している時期は古王国、中王国、新王国、プトレマイオスという名前がつけられた時代となっています。この時代は磐石な政権。しかしそれが少し弱くなってくると国内が混乱してきます。そして、ちょっと力のある人がわれもわれもと王になりたがってきます。そのような時期を中間期と呼んでいるのです。
この第3中間期というのは、末期王朝ともいわれています。しかし、末期王朝という、準安定した状況に至るまでに大変な混乱があったという見方が出てきて、では、第21王朝から第24王朝の間を第3中間期にしようという考え方が、この20年ぐらいの間に確定してきたわけです。 |
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タニスの遺跡 (デルタ、サン・アル=ハジャーム) |
ラムセス3世の第20王朝も頑張りました。外国から海の民というのが攻めてきて、これを追い返したりしてエジプトの独立性を保ったわけですけども、そうしながらも第21王朝に移っていきます。この第21王朝というのはどういうものかというと、ラムセス10世、11世あたりの力が非常に弱くて当時のアメン神殿の神官長(大神官といいます)であった、ヘリホルという人が「とてもじゃない、やってられない。王のことを尊敬できない」と、自分が王になってしまいます。大神官であり王であれば、世俗のものと神聖なものの両方の権威になれるという、とんでもないことを考えて王になったのです。
デルタ地帯の方に少し移っていた都を元に戻し、神官政治をしたのです。それに対してスメンデス1世という人がもう一度デルタ地帯の中心地、当時港町だったタニスというところに都を戻した。これが第21王朝なのですが、非常に大きな混乱の中、スメンデス1世は王家の谷を再建します。自分が入ろうとしたんですね。荒らされていた王家の谷を再整備、修正して王の墓として使えるようにしたのです。しかし、残念なことにスメンデス1世はそこに墓を作ることなく亡くなります。せっかくの再建が自分のためにならなかったのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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