| 第4回 |
「ラムセス3世の勝利とその後」
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7/24〜 |
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ラムセス3世像 (ラムセス3世葬祭殿) |
ラムセス3世はラムセス2世に次ぐ偉大なる王と古代エジプト3000年の歴史にいわれています。ついに外国性を全部おしやったのです。
しかし実は、外国の異民族の攻撃には耐えたのですが、国内がうまくいかなくなった。ですから治世が25年を越しますといろいろな国内の問題が起きてくるんです。国外を片付けてほっとすると国内が大変なことになる。どういうことかというとラムセス3世の暗殺計画がある。また、叛乱計画があるといったことです。暗殺と叛乱が連動していたかどうかはわからないのですが、まず暗殺計画が明るみに出る。この暗殺計画の中心になったのはティイという、ひとりの妃でした。エジプト的な名前ですが外国出身といわれています。 |
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ラムセス6世像 (ラムセス6世王墓壁画) |
裁判まで行われたでんすよ。この裁判の裁判長はなんとラムセス3世だった。非常に珍しいパターンです。捕らえてみたらみな、自分の側近。ラムセス3世が戦争に明けくれている間に嫌気がさした王妃や王妃と通じている大臣などに取り囲まれてしまったということでしょうか。結果的に40人以上の人間…ラムセス3世の側近の大臣、次官、高官など高位の役人を死刑にせざるを得なかった。中には怒りの余り、裁判の途中に「この場で自ら命を絶て!」とラムセス3世自ら言わざるを得ないぐらいひどいことがあったようです。そういうことがあって、最終的な決着がつく前にラムセス3世は死んでしまうのです。憤死と言っていいでしょうね。怒り狂って、真実を知れば知るほど「なぜだ?」という感じだったと思いますけども、残念ながら亡くなってしまうのです。そのあとはもうラムセス4世から11世まで、子供は全部ラムセスという名をつけながらきて、ついにラムセス11世で20王朝は終わってしまいます。もっとも、最後の王様、ラムセス11世はわりと頑張って28年間も王位についていましたが、いい息子に恵まれず、反乱軍によってラムセス王朝はついに終わってしまうわけです。
この20王朝が終了することによって、一気にエジプト人によるエジプト人の国政、政治というものが影を潜めてしまうのです。いよいよエジプトは衰退への道へと向かいます。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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