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エジプト軍に捕らえられた「海の民」 (ラムセス3世葬祭殿壁画) |
「海の民」…。ロマンチックな名前ですね。英語で「SEA PEOPLE」というんですけど、なぜそう呼ばれるようになったかというと、エジプト…今のアレキサンドリアとかタンタとかあたりに地中海岸から攻めてきたからなんです。
もともと、民族でもなんでもなく、レバント地域、今のパレスチナ、レバノン、イスラエルあたりの地域に住んでいた30〜40ぐらいの都市国家です。おおむね遊牧民を従えている不安定な国家で、その人たちが連合して、とてもここでは暮らしていけないのでエジプトに行こうということになったのです。エジプト側は国道を攻められると困るので、大軍隊を敷いて守っているわけです。そのため、陸からは攻められない。海を渡って攻めることになります。海岸線が広いです。1000kmぐらいですかね。これを全部防御することは到底できません。これを迎えうつのは大変なことでした。しかしラムセス3世は30年を越す大変長い治世の間にまず、武力で主力を追い返した。一方でリビアの方に誘導する。(リビアには戦争で勝っていますから)そして北を滅ぼす。ある部分ではエジプトに受け入れようと融和政策をとっています。ラムセス3世はこういった争いや融和政策について、ルクソール西岸のメディネト・ハブに描いています。攻めてくる異民族をやっつけるのですが、捕虜は右手を斬られたり、性器をそがれて山のように積み上げられたり…。と、すごいですよ。そこに描かれているのは。 |
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ラムセス3世葬祭殿の 壁画に刻まれた文章 |
ラムセス3世の妃の半分は外国の女性です。融和して、その中から美しく賢い女性を妃にして子供をたくさん作った。ということは、エジプトは混血国家になり始めているということですね。中でも、ティティという王妃は大変優れた女性でした。実はラムセス3世の娘であり、妻であり、次の王ラムセス4世の母である。ラムセス3世の陰に隠れてあまり有名ではありませんが、このティティという王妃が20王朝の中核となっていたということです。歴史の中に女性あり、ということですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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