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ラムセス3世像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
19王朝の末、エジプトは混乱していました。しかし、エジプトだけではありません。みなさんもよくご存知と思いますが、トロイの戦争。トロイのヘレンで有名ですね。そのほかミュケナイの滅亡といった、東地中海の北側にある大きな都市国家が続々と滅びていきました。エジプトはまあ、都市国家ではありませんから滅びることはありませんでしたが、それでも大きなダメージを受けました。天変地異というか、自然の力はすごいですね。
そして、民族の大移動。北から南へ、エジプトに向かってやってくる。片やエジプトを見切ってエジプトから出ていく。この、南に来る人たちと、エジプトから北上する人たちがパレスチナ地域でもって戦う。大変な状況の中、エジプトではデルタ地帯の街角からセトナクトという人が、突然出てきてエジプトを統一しちゃうんです。この人は早くに亡くなってしまいますが、その息子、ラムセス3世がまた、ラムセス2世に次ぐほどの偉大な王となったのです。ラムセス3世はラムセス2世を手本とし、尊敬していたので、もともと違う名だったのに、自らをラムセスと名乗ったのです。 |
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ラムセス3世による戦闘の様子 (ラムセス3世葬祭殿壁画) |
混乱の中ですから、王といえども安泰はない。統一してしばらくののち、治世5年と治世10年目ぐらいに西の方からリビアの遊牧民ががーっと攻めて来た。食料を求めてきたのでしょうけど、ラムセス3世はかろうじてリビアの連隊を追い返します。しかし、ほっとするのもつかの間、今度は突然北のパレスチナの方から攻め込まれる。言ってみれば連隊というか、民族移動です。食料が安定して得られそうなエジプトにゴールド・ラッシュのごとく、ラッシュしていったのです。そしてひとりで頑張ったラムセス3世はすごい人でした。
その、戦闘の模様がルクソールの西岸、メディネト・ハブの、ラムセス3世が造った葬祭殿に書かれています。どうやって相手を倒したのか、これは楽しみですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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