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カエムワセト王子像 (大英博物館蔵) |
今回のテーマは「ラムセス2世の王子たち」。わざわざ1章もうけるぐらいですから大変な王子たちがいたってことですね。
一説によりますと、王子と王女を合わせて132人。この辺の数字はちょっと定かではないんですけども、ルクソール神殿の第2棟門のところにも、ルクソール神殿をラムセス2世が作った時に、その開会式というか開所式の時に集まった自分の子どもたちの名前が書かれています。とにかくすごい人ですよ。
やっぱり一番有名な人はカエムワセトですね。イシスネフェルトという第2王妃(即位24年以降は第1王妃となりますが)の子供ですけれど、ラムセス2世からこの国はどういう国だったのか。つまり歴史をさかのぼって研究しなさいとか、エジプトの誇りとなるピラミッドとか、そういうものがたくさんあるが、それらがもう、壊れ始めていたり砂が溜まりはじめているので、これを再建しなさいとかいわれて、カエムワセト本人がエジプト中の神殿やピラミッドや葬祭殿などをくまなく回って調査し、文献を作って修理したのです。
これは人類最古の考古学者といえるでしょう。しかしそのカエムワセトのお墓が見つかってなかったんです。 |
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クフ王の名が刻まれた スフィンクスの一部 (アブ・シール南出土) |
サッカラのセラピウムという牛のお墓があるのですが、そこの中にあるだろうといわれていました。しかし、1991年に私たちがサッカラの西北1kmぐらいのところの小高い丘、聖なる丘と呼ばれるところからカエムワセトの葬祭殿を見つけたのです。これは快挙でした。葬祭殿があるんだから、そのそばにお墓があるだろうと、それから10年間探しているのですが、お墓はなかなか見つからないんですよ。お墓は見つからないけど、そこの聖なる丘からですね、イムヘテプという、階段ピラミッドを設計施行した、当時の総理大臣が作ったものとか、クフ王…あの、ピラミッドを作ったクフ王の名前のついた彫像とかですね、そういうものが出てきました。
ですからライオンの丘とか聖なる丘とか言われていますが、実は宝の丘だったんですね。
これを毎年夏に発掘しているんですけれども、文部省が応援してくれて、文部科学省になってからも少しずつではありますがお金を出してくださるようになり、これに自分のお金を足して今年もやろうと思っています。きっとすごいものが見つかると思いますね。
カエムワセト、これがラムセス2世の最大の王子だったんです。皇太子になって、総理大臣にもなりましたけど、ラムセス2世が長生きしたものですから、先に死んでしまったのです。
もし、このカエムワセトが王になっていたら第19王朝はもっと違う歴史を歩んだのだろうと思います。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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