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ネフェルタリ王妃像 (ネフェルタリ王妃墓壁画) |
ネフェルタリ。もう、あまるような美しさ。美しさが何倍、という名前なんですね。その名の通り、三大美女の一人です。ネフェルタリ、ネフェルティティ、そしてクレオパトラ。クレオパトラとネフェルティティは外人ですから、エジプト生まれのエジプトの美人といいますと、このネフェルタリしかいないんです。
ネフェルタリ王妃は、一体どこから来たのか…。ラムセス2世が活躍し始めた時にはもう、隣にいたんですね。その時にもうひとり、イシスネフェルトという女性も王妃としていました。
イシスネフェルトとは、イシス女神、美しいイシス女神という名前なので、これもまたいい名前ですけど、どっちかとうとネフェルタリのほうが美人だったでしょうね。歴史に残っているのはネフェルタリの方ですから。 |
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ネフェルタリ王妃とラムセス2世像 (アブ・シンベル小神殿) |
ラムセス2世はこの二人を王妃としていました。ネフェルタリは治世24年ぐらいの時に亡くなるまで第1正妃として君臨していました。
ネフェルタリは多くの子供を生みました。ラムセス2世の子として特に有名なのはカエムワセトでしょう。第2王妃イシスネフェルトの子供ですが、ネフェルタリの子として有名なのはアメンヘルケプシェルでしょうね。
ラムセス2世はたくさんの妻というか、王妃がいまして、このほかにも30人ぐらいいたといわれています。妹のヘヌトミイラーとか、娘…。娘は何人か、王妃にしています。一番有名なのはメリトリアメン。カイロ博物館に行きますと今でもきれいな女性がいますが、この人も妃となりました。南のヌビアの方からも妻を迎えたということですが、その中でもやっぱりネフェルタリはすごかったようです。
ネフェルタリが生きてる間は王妃はそうたくさんいなかったのですが、在位24年のころに亡くなってから、一気に増えたのです。ラムセス2世にとってネフェルタリは大きな存在で、いなくなった穴を埋めるためには、本当にたくさんの女性が必要だった。寂しさを癒すことができなかったということなんでしょうけどね。
有名な話としてカディシュの戦いの時、ネフェルタリがラムセス2世についていった。すごいですね。女性なのに、戦争についていったんです。しかし、それが良かったのか、悪かったのか。この辺のところが問題なんですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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