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ラムセス2世像 (ルクソール神殿) |
ラムセス2世というのは、エジプトが好きな方だけじゃなくてかなりの方がご存じだと思います。エジプトの大王といえばもう、ナンバー1がラムセス2世です。
エジプトに行きますと「ラムセスストリート」というのがあります。通りの名前だけじゃあないですよ。そこに面しているカイロ中央駅の名前が「ラムセス駅」というんですからね。
亡くなったサダト大統領は「私はラムセス2世の生まれ変わりだ」なんて言ったぐらい、ラムセス2世は人気絶頂です。
ラムセス2世はたくさんの建築物を残しております。もう南はアブ・シンベルから、ずーっとデルタ地帯まで。すごいですよ。 |
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セティ1世像 (セティ1世葬祭殿壁画) |
まあ、そういうラムセス2世ですけども、父親はセティ1世という人です。セティ、とはセト神です。エジプトの古代3000年の中でセトっていうのはずっと悪者です。当時の王様、ホルスと戦って、最終的にはホルスに負けるのですが、その裏で根強いセト信仰というのがあります。
セティ1世、ラムセス1世がそこの出身ということなんですけれども、このセティ1世はラムセス1世が短命で亡くなってすぐ王になって、エジプトの威信を取り戻すべく、まあ、いろんなところで戦争をしています。
トトメス3世と同じようにエジプトの領土を広げようという気持ちで、やり方もまねたというわけです。こうして領土をどんどん増やしていきました。そういうセティ1世の側近として、また、最も信頼できる王子としてラムセス2世がいたんですね。
ラムセス2世にはお兄さんがいたのですが、早く亡くなったために、長男として扱われていたんですけども、ともかく「ラムセス2世の行くところに敵なし」といわれていました。母親はトゥヤという人で、セティ1世の第1王妃でしたが、セティ1世が比較的早く亡くなったあともずっと生きて、ラムセス2世を影で支えたのです。ラムセス2世には王妃もたくさんいましたし、母親も長く生きたということで女性に恵まれたというか、女性に抑えつけられていたんじゃないかといわれるぐらいに周りに女性がたくさんいました。
セティ1世の活躍を一身に受けて自分で戦い、セティ1世が亡くなってから、ラムセス2世というのはこれからいよいよ王になって国を治める、しかも全然怖いものなし。セティ1世の時代に王に代わっていろんなことをやっていましたから、安心してエジプトの政治を治めていったのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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