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ラムセス1世 (ラムセス1世王墓) |
前回お話しましたが、ホルエムヘブは猜疑心の強い、とんでもない人でした。そのホルエムヘブが最も尊敬し、信頼していたのがラムセス1世でした。ホルエムヘブが戦った戦争のうち、後半のものはほとんどラムセス1世が直接手を加えていたというか、前線に立って戦っていたのではないかといわれています。
ホルエムヘブが南にいて総司令官だった時、自分の代わりにラムセス1世を南に入れて、いとこを北に入れたのです。北の方はほぼ大丈夫だろうが、南の反乱を恐れていたのです。しかし実際には、北の方の動きが大変活発になってきたのでラムセス1世を南から北にもって行き、エジプトの軍備を固めたのです。
このラムセス1世がホルエムヘブを尊敬していたために、それまでの歴史を全部変えてしまった。記述などを削ってしまったんです。
実際に歴史を変えたのはラムセス1世だと主張する人もいます。 |
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牛を捕らえようとする セティ1世と王子ラムセス1世 (セティ1世葬祭殿) |
たとえば、セティ1世(ラムセス1世の息子であり、ラムセス2世の父)がアビドスに大きな神殿を造り、そこにそれまでのエジプトの王様の名を刻んだはずなのですが、実際にはアメンヘテプ4世(アクエンアテン)の名もなければスメンクラーもツタンカーメンもアイもいないんです。アメンヘテプ3世の次はホルエムヘブになっているのです。あらゆる歴史から名前を削ってしまったのです。
ラムセス王朝というのは19王朝、20王朝と続くんです。もちろん19王朝と20王朝のラムセスは全く血筋はつながっていませんが、ラムセス1世がこの続く基盤を作ったといっていいでしょう。
ラムセス1世のミイラというのか影も形もありませんでした。しかし、2000年にアメリカで見つかったのです。2002年にはそのミイラが里帰りといいますか、カイロまで仰々しく運ばれ、そこからまたルクソールまでもって行きました。そのためにルクソール博物館を拡張して、今はそこで眠っています。なんと王妃のミイラも一緒に見つかったので、一緒に運ばれてきました。
そのことに対する感謝として、エジプトで最も有名な王であるツタンカーメンの展覧会を、アメリカで2年にわたって行うことになりました。エジプトもなかなか粋なはからいというか、義理堅いですよね。そういうわけでラムセス1世のミイラは、現在ルクソール博物館で見ることができます。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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