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吉村作治 エジプト博物館
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第3回 「ホルエムへブ王墓の謎」 5/15〜
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アメンヘテプ3世像
(カイロ・エジプト博物館蔵)
ホルエムヘブとはすごい名前です。「ホル」は「ホルス神」です。ホルス神が歓喜する、という意味の名前です。
もともとは軍司令官で、アメンヘテプ3世の時代に軍の中でもそんなに低い位置ではなかったようです。師団長ぐらいだったと思います。それが体がでかくて力が強いということで、アメンヘテプ3世が南方の軍司令官にした。
ホルエムヘブは最初、自分はとても王にはなれっこないだろうと、今のカイロの近くのサッカラというところに軍人としての墓を作っているんですね。
ホルエムヘブ王墓というのはKV57という番号がついていて王家の谷にあるのですが、18王朝と19王朝のちょうど中間ぐらいのスタイルの大変立派なお墓です。
しかしそれは、どうみてもツタンカーメンのために作り始めた墓ではないかと思われます。ツタンカーメンは急に亡くなりましたから、仮の墓に仮埋葬した。そしてそのあと、ホルエムヘブがとってしまったのだろうということなんです。
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ホルエムヘブ王墓
(ルクソール西岸)
ツタンカーメンとホルエムヘブの間にはアイがいますから、本来ならアイがとるはずなのに、なぜホルエムヘブがとったんだ?という複雑な論争がありました。その後、調べた人がいて、一旦アイがとったのだけれど、そう以後すぐ死んでしまったために、アイの墓を別のところ、ひそやかな西の谷に作り直して、ホルエムヘブが堂々とその墓をとったのだろう、というのです。
確かにホルエムヘブは、アクエンアテンから仲のよかったアイまでの間、記録を全部削って自分の業績にしてしまったといわれています。たとえばルクソール神殿なんてのはアメンヘテプ3世が造って、その後、ラムセス2世が造った。その間にツタンカーメンが造った第1列柱室という大変立派な列柱があるのですが、それもホルエムヘブが造ったことになっている。『横取り王ホルエムヘブ』ということで、どうもこのツタンカーメンの墓も、ホルエムヘブがとったようです。ホルエムヘブは軍人でしたから、自分の力というものをよく知っている。そして自分が王になった時に軍人というのは非常に危ない存在だということで、自分の親戚から軍人を出し、なおかつ軍人の中から神官を出すなどという、とんでもなく猜疑心の強い人だったようです。
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吉村作治〜私の素顔
吉村作治さんの写真1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!

情報提供: HISTORY CHANNEL
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