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ツタンカーメン王像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
ツタンカーメン…。すごく華やかでエジプトを代表するファラオですね。おそらくツタンカーメンは暗殺されたと思います。今までの説では撲殺されたというのが有力ですが、最近のCTスキャンにより、チャリオット(戦車)に乗っていて転げて大腿骨を折り、感染症にかかって死んだという説も出ています。
ツタンカーメンが18歳という若さで亡くなりそのあと、アイという人物が王位につこうとするのですが、この辺が非常に疑われる原因です。アイはツタンカーメンの妃、アンケセナーメンのおじいさんです。もう60歳を過ぎていました。そんな人が王になるなんて、どうもあやしいじゃありませんか。アメン神官団の長である大神官と軍人上がりのホルエムヘブが組めばツタンカーメンを暗殺するなど、子供の手をひねるごとく簡単なことのように思われます。
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ホルエムヘブ王 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
アンケセナーメンは夫であるツタンカーメンの死後、アイと結婚しなければならないという危機感を持ち、これは大変だということで、敵であるヒッタイトの王子と結婚して、エジプトのファラオにしようと考え、スッピルリウマ1世というヒッタイトの王に手紙を送ります。
最初はスッピルリウマ1世もあやしいと思ったのですが、2番目の手紙を見て、「これはエジプトを平和的に支配できると野心を持ち、王子を送り込みます。
しかし、王子がエジプトに入った形跡がない。どうも国境で暗殺されてしまったようなんですね。
軍司令官のホルエムヘブの仕業に違いないといわれています。このあとホルエムヘブは王になります。
もちろん、自分の悪事を記録に残すことはありませんから、全く記録は残っていませんけど、
そういうわけでアンケセナーメンは野望を打ち砕かれ、アイに政権が移ってしまうんです。
アンケセナーメンがアイの王妃になることによって第18王朝は続くというわけです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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