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ツタンカーメン王像
(ルクソール博物館蔵) |
ジャーン。これはもう、ツタンカーメン最大の呼び物です。ツタンカーメンは18歳とか20歳とかで死んでいるわけですから自然死という見方はまず通らない。当時の王様の平均寿命は40〜50歳。あとは事故死か暗殺…つまり、他殺。この2つですね。
今まで事故死ではないだろうということで、暗殺の線で集約されていました。暗殺ということになると、撲殺か毒殺になるのですが、ミイラの頭のところにぼこっと穴が開いているので撲殺というのがメインの説でした。しかし私は、そうではなくて毒殺だろうと考えています。
古代エジプトでは毒殺がはやっていました。ですから毒見係がいて飲み物でも食べ物でも必ず毒見係が飲むなり食べるなりして、大丈夫なものを王は食べていたわけです。しかし、年に1回だけ、ワインの新種が出る時、そのワインをアメン神にささげ、おろしたものを王が飲む。神様にささげたものを毒見してはいけません。(ささげる前にします。)なので、おろして王が飲む間に毒を入れることができるのです。そして、毒見をしないまま王に飲ませることができるということです。 |
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ワイン壷
(ツタンカーメン王墓出土、
カイロ・エジプト博物館蔵) |
ツタンカーメン王墓には、一番最後のワインの壷が残されています。これはヤグルマギク同様アンケセナーメン王妃のダイイングメッセージ、このようにして殺されたのだということを示すために残したのだろうと私は思っています。
使われた毒はヒソだと考えています。そこをなんとか検査しようと思うのですがなかなかうまくいかない。ところが2005年2月にCTスキャンをし、事故死である。大腿骨を折っていてその治療の過程で感染症にかかったのだという新説が出ました。しかし、私は今でも暗殺されたと信じています。それにはいろんな理由がありますが、1番には王妃アンケセナーメンがツタンカーメンの死後、アイという人と結婚し、その後ホルエムヘブ、ラムセス1世らとつながっていきます。しかし、アイとの結婚を拒否するために、アンケセナーメンは敵であるヒッタイトの王に王子を自分の結婚相手に欲しいと頼むのです。王は王子をエジプトに送りますがエジプトに入る前に殺されてしまいました。そんな事件があること自体、暗殺の構図を明らかにするものだと思うのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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