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アンケセナーメン王妃
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
アンケセナーメンはツタンカーメン王の妃です。アンケセナーメンは謎だらけの人です。
まず第一に、ミイラはもちろん見つかっていません。そして遺物、かかわりのあるものが非常に少ないんです。
たとえばツタンカーメンの王墓から見つかったものの中でアンケセナーメンを思い出させるものは遺物番号1の黄金の玉座です。そこにはツタンカーメン王と王妃アンケセナーメンが仲良く並んでこれから儀式に出かけるツタンカーメンに香油を塗っているという、大変仲のよい描写があるのですが、それ以外にはほとんどないんです。
ツタンカーメン王を非常に可愛がっていたといわれている、ネフェルティティ…ツタンカーメンの父または兄といわれているアクエンアテン王の妃だった人ですが、そのネフェルティティの娘であるアンケセナーメンという、非常に複雑に絡まっていた人間関係の中でツタンカーメンはちょっと離れていたんです。
しかし、王家筋であることは間違いがありません。私は父はアメンヘテプ3世、母親はキヤという女性だと思っています。 |
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アンケセナーメン王妃の
名前が刻まれた指輪
(ダハシュール北遺跡出土) |
アンケセナーメンはもとはアンケセパーテンという名前でした。アテン神信仰の時代に王位についたツタンカーメンももとはツタンカーテンという名前でしたが、ともかくアクエンアテンの進めた宗教を元に戻さなければと宗教改革の反改革が行われ、それに伴い、ツタンカーテンがツタンカーメンに、アンケセパーテンはアンケセナーメンになったんですね。
この改名した時以降が全然わかっていないんです。
実は私たちの発掘で1996年にアンケセナーメンの指輪を見つけました。これはすごかった。ツタンカーメンの側近の墓から出たのですが、そこからアンケセナーメンの指輪が出たということは、確実に臣下とコミュニケーションをしていたということです。
このアンケセナーメンはいろいろと面白いことがありまして、ツタンカーメンのお葬式の時、普通は葬儀の時には前々から用意をするものなのですが、突然、野に咲いていたヤグルマギクを切ってミイラのところにそっと入れているんですね。これはダイイングメッセージという風に私は考えていますが、そういうことを含めてアンケセナーメンは謎の多い人物なのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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