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ネフェルティティ王妃頭部
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
ネフェルティティ…遠来の美女。いいですねえ…。このネフェルティティは古代エジプトの三大
美女といわれています。ネフェルティティとネフェルタリ、そして皆さんご存じのクレオパトラ。
不思議なことにネフェルティティとクレオパトラはエジプト人じゃないんです。エジプトの三大美女が外国人というのは皮肉なことですが、エジプト人なのはネフェルタリだけです。
ネフェルティティはミタンニ…今のイラクの中流ぐらいのところにあったナハリーンという国で、エジプトではミタンニと呼んだ国の人です。アクエンアテンの父親のアメンヘテプ3世の妃であるティイもミタンニの国でした。 |
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王女に口づけするアクエンアテン王
(カイロ・エジプト博物館蔵) |
ネフェルティティはびっくりするほど美しい人であったと同時に、びっくりするほど賢い人でした、というか力のある人でした。まるで自分が王であるかのように、戦争に行った時に自ら敵の頭をとっ捕まえてこん棒でやっつけたとか、自分がいかに戦争で活躍したかというようなことを書かせていました。もちろんそれは壊されて他の神殿のつめ石にされてしまったのですが、地震などで神殿が崩れて出てきてびっくりしたのですが、『王妃より王だなあ』という印象でした。
一方、アクエンアテン王には『平和と愛』というテーマがありました。愛があれば全て解決する、とその間にどんどん軍隊を解団したり、「敵が攻めてきたから助けてくれ」と手紙が来ても、「平和が大事、愛があれば解決する」などと言っていたようです。そしてどんどんエジプトが手をとられ、足をとられてだんだん衰退していく。しかし、『ナイル讃歌−ナイルは今日も美しく流れていく〜』なんていって、王宮のところでぼんやり川を眺めているというような人だったんですね。それに引き換えネフェルティティは自ら政治をした、しかもそれがエジプト人ではないというのが問題ですね。エジプトの政治をエジプト人ではない女性が握っていた。しかもネフェルティティの偉いのは、6人もの子供を産んで母であり、妻であり、国家元首でもある、すごい人だったということです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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