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アメンヘテプ4世(アクエンアテン王)
頭部像
(ルクソール博物館蔵) |
アクエンアテン、非常に珍しい名前ですよね。トトメスとか、アメンヘテプとか、大体そういう名前が新王国時代では多いんですけども。もともとこのアクエンアテン王はアメンヘテプ3世の子供で、アメンヘテプ4世と名乗っていました。次男だったのですが、長男のトトメスが若くして亡くなったので王位についたのです。母親はティイです。ティイは今のイラクの一部の国、ミタンニ王国から来た人です。
アメンヘテプとはもともと『アメン神は喜ぶ』という意味です。アメン神とは人間が作ったものですが、この時代、そのアメン神を担いでいる神官団が力を持ちすぎていた。100を超える国から毎年貢物が来るのですが、これもすべてアメン神のおかげだとアメン神官団は言ったわけです。王もそれに逆らうことなく、王家の人事から始まり、次の皇太子、王様に至るまで、全部アメン神官団がうんといわなければできない。アメンヘテプ3世はこれに腹を立て、治世の後半に王宮を出て違うところに自分の王宮を造ったりと、かなりギクシャクした関係になっていたんです。アメンヘテプ4世はその真っ只中で成長しました。父が死んで母親と暮らす中で「やはりアメン神官団はおかしい」というようなことを話し合ったんでしょうね、ついに決意するのです。治世5年でアメン神官団を見切ったのです。 |
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アメンヘテプ3世
(インヘルカウ墓) |
まず、名前から。アメン神を否定するためには違う神を持ってこなければならない。国家神に対抗するには太陽神だろう。しかし、ラー神はアメン神と習合してアメンラーとなっているので、ラーを持ってくるわけにはいかない。
太陽神は朝日、中天、夕天まで、たくさん名前があるのですが、結局一番最後の夕日を持ってきた。なぜかというと、夕日は日が沈むと復活再生の儀式がある。生まれ変わるという意味がある。そこで夕日であるアテン神を持ってきて、まず自分の名をアメンヘテプ4世からアクエンアテン…『アテン神のしもべ』と変えたのです。
これには皆、びっくりしました。そして国が混乱を始めた。アクエンアテンはその真っ只中にいた王です。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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