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アメンヘテプ3世立像
(ルクソール博物館蔵) |
マルカタ王宮。大変ステキな名前ですね。1973年、私たちはこのマルカタ王宮の南側約800mのところに『魚の丘』と呼ばれる祭殿を見つけたのです。これは大変衝撃的な発見で、注目されました。そしてこのマルカタ王宮、アメンヘテプ3世が後半生を過ごしたところを調査してみないかということになりまして、絶好のチャンスということで、建築史の先生にお願いして徹底的に研究することになったのです。
このマルカタ王宮を発掘していて私が一番びっくりしたことは王宮がきちっと残っていること。そもそも王宮というのはめったに残っていないんですね。次々と壊しては建て、壊しては建て、ということで、王宮がちゃんと見つかっているのはエジプト全土の中でも4つか5つなんですね。その中でも一番きちっと残されている。いってみればタイムカプセルです。王宮のプランが出ているなんていうのはここだけです。 |
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ハーレムのアパートメント址
(マルカタ王宮址) |
これを発掘しててまず驚いたのはアメンヘテプ3世の建物とティイの建物は別棟だったということです。つまり一緒に住んでいなかった。じゃあ、アメンヘテプ3世は淋しいだろうと思うとそうではない。アメンヘテプ3世の住んでいるところはティイの4倍ぐらいの大きさで、そこに全部で8つもの女性の部屋があった。みんな王妃です。中にひとつだけすごく大きい部屋があって、ミタンニから来た女性の部屋だろうといわれていますが、どうもそこにツタンカーメンがいたようです。あくまでも想像ですが。すなわち、ティイのところにはアメンヘテプ3世が自ら出向いていき、他の女性はアメンヘテプ3世に呼ばれて寝所に行くということなんですね。
出入り口は1ヵ所しかなく、全部が塀で囲まれていて、周りのところには植物園というか、樹木がばーっとあり、その周りに高い部屋がありました。女性の出入りはもちろん、その女性目当ての人が外から入ってくることもできない。中に入れるのは特定の人だけ。ここではまあいってみれば隠れた政治をやっていたんではないですかね。ティイとアメンヘテプ3世の座るところがあって、その前に各地から来た王の仲間たちが密談をしていた。こんなことがわかるなんて滅多にないことなんです。
私たちはアメンヘテプ3世の遺跡をであるマルカタ南を見つけ、現在まで王宮を調査、修復しているわけです。さあこれからどうなるんでしょうね。とても楽しみですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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