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アメン神とラー・ホルアイティ神
(センネジェム墓) |
ティイ王妃という方はなかなかすごい人です。どうすごいかというと、エジプトの政治を変えてしまった。
当時の宗教であるアメン神を中心として、下エジプトの主たる神であるラーと一緒になってアメンラーとなった。それまでエジプトの国家神はラー神だったのですが、その国家神の力と習合したということです。
トトメス3世の時代にはエジプトはアメン神なしには進まない国でした。そのためアメン神官が力を持っていて、王は付属物のようになりつつあった。アメンヘテプ3世の父親であるトトメス4世は王として余り力を発揮していなかったので、アメン神官団が何でも決めていたのですが、アメンヘテプ3世は王子の時代からこれを何とかしたいと考えていて、アメン神官団との関係が悪くなっていったんです。そのため、アメンヘテプ3世は王位につけないのではないかと噂されたほどでした。そんな中ティイと結婚したのです。 |
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「メムノン」の巨像の
足元に寄り添うティイ王妃
(ルクソール西岸) |
このティイという人は王家の血筋を持っていません。通常、王になるためには王位継承権を持っている王家の女性と結婚しなければならないのですが、ティイはミタンニという、今のイラクあたりにあった国の人でした。ですから本来なら王になったら、ティイは横において王家の血筋の女性を妃にするのですが、アメンヘテプ3世はそうしなかった。これはアメンヘテプ3世がえらかったのかティイが強かったのかその辺はよくわかりませんが、このティイが正妃となり采配をし、アメン神の力を削いでゆくのです。アメンヘテプ3世の治世の前半はアメン神官団とティイとの戦い。そしてティイは外国人ですから、その後西の方に逃れてゆく。王宮を移せ、ということになるのです。すごいですよね。王妃が王宮の場所を移すということまでしてしまうのですから。ティイは大変な力を持っていて、その上アメンヘテプ3世が死んでからも10年から12年ほども長生きし、最後の最後までアメン神官団と戦いました。大変すばらしい肝っ玉母さんだったんですね。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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