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アメンヘテプ3世像
(ルクソール博物館蔵) |
このアメンヘテプ3世というのは我々エジプト調査隊にとってはものすごくゆかりの深い人なんですね。実は我々が一番最初に見つけた遺跡、マルカタ南というところに『魚の丘』という遺跡があるのですが、この遺跡がアメンヘテプ3世の祭殿、フェスティバル・ホールだったんですね。ここで王位更新祭(王位は30年で、30年経って続けてやっていくのであれば、その儀式をやったんです。普通は王は30年も続きません。長生きしている人でもせいぜい25年ぐらいで亡くなってしまいましたから、30年の更新祭をする王はなかなかいませんでした。)38年目の更新祭をやったんです。 |
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アメンヘテプ3世が儀式に用いた
祭壇へと続く彩色階段
(ルクソール西岸、マルカタ王宮址) |
アメンヘテプ3世関係の調査を続けて40年ほどになり、なんと現在では世界で「アメンヘテプ3世のことは早稲田大学に聞け」となっているほどゆかりが深いんです。(とはいっても余りよくわかっていないというのが事実ですが)他の王に比べると記録がたくさん残っています。
大土木王で、ラムセス2世ほどではないにしても、たくさん造っています。芸術が大好きだったということもあり、彫刻もいっぱいあります。スカラベという記録もたくさんあり、結婚をして、その喜びや誰の娘だったというような記録、狩りでライオンを何頭殺したとか、舟遊びをしたとか。そういった記録好きな王であることも確かなんですね。
父親はトトメス4世。わりと治世の短かった人です。近隣の国から王妃を迎え入れ、アメンヘテプ3世の母親はミタンニという、今のイラクの地域にあった大きな国の王女だった女性です。
アメンヘテプ3世は自分の正統性を述べるため、ルクソール神殿の奥の方に『誕生の間』というのを造り、自分はクヌム神とイシス女神の見ている前でろくろでもって作られた。母親は外国人かもしれないが自分はエジプトの神に認められているのだということ書いたのです。大変に変わった王であることは事実です。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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