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トトメス3世像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
トトメス3世は80歳過ぎまで生きて、外国の女性も含め10人前後の妃をもち、王宮で楽しく暮らしたんですね。亡くなった時、正妃はまだ生きていてトトメス3世を手厚く葬ったのです。
当時のお墓は全部、崖と地面の境のところをトンネルとして掘って作られたのですが、この王妃はそれでは盗掘にあうかもしれないと崖の中腹、17〜8mいったところを掘り、そこから下に掘っていったんです。
これによって盗掘は免れるだろうと思ったのでしょうが、近世発見された時に中を見たところ、ほとんど盗掘されていたのです。盗掘で一番すごかったのは、トトメス3世の姿を表わすシャブティを、あの世に行ったときに自分の仕事をさせるために1200体ぐらい入れていたはずなのに、一体も見つかっていない。壁画は壊されていないものの、未完成。お棺もミイラも何もありませんでした。ところが1881年、ディル・アル・バハリでトトメス3世のミイラが見つかったのです。そのミイラはお棺から出されていて、本物かどうかわからないということで、いろんなところを調べたのですが、そのミイラがくるまれていた麻布に書かれていたものがトトメス3世の当時を表わすものだったのです。 |
お棺から出されてはいたものの、どこかで大事に保管されていたんですね。そのミイラをきちっと調査していきますと、ミイラの上に金ののべ板といいますが、金張りがされていたようです。ところどころ杭のところに残っているだけで、ほとんど取られている。
トトメス3世のミイラは現在、カイロ博物館にあります。カイロ博物館のミイラはそこに書かれている名前と必ずしも一致しているとは限りません。現在も検証中ですが、ラムセス2世とトトメス3世のミイラはその時代であることがわかっています。とにかくトトメス3世は偉大な人で、エジプトのナポレオンといわれました。最もエジプトが栄えた時代で、その時代にいろいろと新しいことをしたのですがその影響がやがてエジプトに翳りをもたらすようになることは本人はわかっていなかったようです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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