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ワインを捧げるトトメス3世 (ルクソール西岸、 ハトシェプスト女王葬祭殿) |
王妃、妻、なんていうのは興味ありますね。ヨーロッパの学者たちはキリスト教の考え方で、一夫一婦制が理想というか、"で、なければならない"。カトリックでは離婚が認められていませんからね、そういう観点から正妃(=第一王妃)以外は側室という言い方をしていますが、これはあくまでもキリスト教的なものの考え方です。当時古代エジプトでは一夫一婦制なんてことは法律でも習慣でも全くありませんでした。ただ、王家以外の人々は生涯一人の女性と暮らしていましたが。
トトメス3世の最初の妻はハトシェプスト女王の娘のネフェルゥラーという人でしたが、この人は早くに亡くなってしまいます。次の正妃はハトシェプスト・メリトラーという人でした。王家の血筋でしたがハトシェプストの娘ではありません。そのほかに、第2、第3、第4…全部で10人ぐらいの王妃がいたといわれています。 |
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新王国時代の軍隊の様子 (ルクソール東岸、カルナク神殿) |
第2、第3王妃は外国の女性ですね。なぜかといいますと、トトメス3性は外国をすごく広く攻めました。その国の一番の忠誠心をはかるのは人質をとるということです。女の子は人質になった場合、全部妃となりました。男の子は留学のような形で人質となり、訓練してエジプトのよさを知ってもらい5年か10年で返す。次の子供と取り替えるんです。帰るのは男の子だけですが、エジプトでいろいろな形で学び、エジプトびいきになるわけです。軍事的に抑えられているのではなく、文化的に歴史的に抑えられるので非常にうまくいくんです。
こうして王宮に女性を入れたことになるのですが、これがのちのち、大きな問題になります。女性が王宮に入るということは、エジプトに外国が入ってくるわけです。王妃が来る時にはひとりでくるわけではありません。いろんな物と共に侍女や召使いを連れてきます。そうしてひとつの部屋がその国になってしまう。そうするとエジプトの王宮が外国の連合体のようになってしまい、エジプトのもともとの伝統や文化がどんどん変質していくということが、このトトメス3世の時代に始まってしまうのです。このことはこの後の18王朝の大きな転換期になっていくのです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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