| 第2回 |
「エジプトのナポレオンと呼ばれる理由」
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1/9〜 |
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トトメス3世像 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
トトメス3世はハトシェプスト女王が亡くなると、ダーンと爆発します。ハトシェプスト女王がやったところ…神殿とか葬祭殿とかからハトシェプスト女王の名前を全部削り取った。この削り方がちょっと怖いんです。文字の通りに削りますからハトシェプスト女王と書かれていたのがわかる。軍とタイアップして一気に平和主義を崩し、軍国主義、軍事遠征をなんと王の間に17回も行ったんですね。イギリスのエジプト学者がトトメス3世はエジプトのナポレオンと称したほどです。ただ、私が考えるには、ナポレオンは戦争をたくさんしていますが強くはありませんでしたからね。いろいろな見方がありますが、ナポレオンは生涯で3回しか勝っていない。あとのほとんどはうまく敵を手なずけたということです。大きな失敗もたくさんあります。最後、モスクワで大敗し、島流しになってしまうわけですから。トトメス3世にしてみれば、エジプトのナポレオンといわれるのは不本意ではないかと思うんです。どちらにしても、イメージとしては「攻めろ、攻めろ」という感じだったのでないかと思います。 |
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トトメス3世の連勝記念碑 (カイロ・エジプト博物館蔵) |
そういう勇壮な姿、戦争に勝ったというようなことはいろんなところに書かれています。トトメス3世も神殿をたくさん作ってますし、なんといっても80歳近くまで生きたということでいろんなところに名前を残しています。カルナック神殿ではトトメス3世がその中核を作ったようなもので後ろの祭殿には自分が当時王宮のところに作った動物園や植物園の姿を描いているくらいで、なかなかしゃれたところもあります。
その中でも特に、メギドの戦いというのがすごかった。メギドというのは今のパレスチナのあたりですが、その町に攻めていった。メギドの人たちも頑張って7ヶ月も籠城したのですが、あらゆる手を使ってついに皆殺しにしてしまったんですね。今でもメギドの地にはたくさんのエジプトの遺物が残っています。
メギドには、エジプト人は非常に強欲であった。戦いをすることよりも勝った暁に負けた人たちからいろんなものを強奪するのだというようなことが言い伝えられています。
いずれにしても、これらの戦争はすべてアメン神のおかげで勝ったとされ、この時代にエジプトの主たる神がラーからアメンに移ってしまうんです。これが問題なんです。 |
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●1943年東京生まれ。
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を始めました。
ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見したのは実は私なんですよ。
発掘活動の現状報告などもお話していこうと思っています。
現在早稲田大学客員教授(工学博士)。
本もたくさん書いています。デジタル衛星放送・ヒストリーチャンネル「吉村作治 エジプト博物館」にも出演していますので、こちらをご覧になれば「動く私」に会えますよ!
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